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2014年5月 2日 (金)

権力と戦うつもりで、民衆と戦ってしまった

権力と戦うつもりで、民衆と戦ってしまった

朝日新聞 社説:朝日支局襲撃―「排他」に立ち向かう
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1

ヘイトスピーチをめぐる京都での訴訟で、訴えられた市民団体側は「表現の自由の範囲内だ」と正当性を主張した。だが、他人を排除し、傷つける言葉は許されるのか。表現・言論の自由の大切さを説き続けた私たちとしても、「それは違う」と言わずにはいられない。

事件以来、多くの読者から叱咤(しった)激励をいただいた。その声にも支えられ、私たちは自由な言論を守ろうと努力してきた。

特に、戦争に協力した戦前への痛切な反省から、権力が自由を制約する動きには、全力で立ち向かってきたつもりである。
特定秘密保護法案の審議のときもそうだった。

ただ、これだけ排他的な言葉が世にあふれる前に、できることはなかったか。

朝日新聞は(そして、いわゆるサヨクは)権力と戦っているつもりだったのかも知れませんが、実際には民衆の感情と戦っていた(戦っている)のではないでしょうか。

例えば公式な靖国参拝を望む人々がいます。国家のため(みんなのため)に戦って死んだのだと認めてもらいたい人々がいます。そういった人々に、朝日新聞は、悪いことをして死んだのだから反省しろと言っていなかったでしょうか。

「従軍慰安婦」についても同じようなものです。自分達の祖先を貶められてうれしい人はいません。また、冤罪を防ぐために、他人を非難するならば徹底的な証拠集めをするべきでしたが、しませんでした。なんとなく日本全体が悪いのだと非難しました。民衆は自分を日本人と思っていますから、自分達を非難されたと思います。強姦魔だと非難されたと思った人が多く出ても不思議はありません。朝日新聞は戦前の日本を攻撃するつもりだったのかも知れませんが、結果としては、日本の民衆への攻撃となりました。

  *        *        *

朝日新聞は「権力」と戦うつもりで、民衆を攻撃してしまいました。そして、攻撃する理由(手段)として、近隣民族を利用しました。その結果の「排他」ではないでしょうか。

全ての原因と責任が朝日新聞にあるとは言いませんが、多くの理由を作ってしまったのは事実であると私は思います。

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投稿: b | 2014年5月 2日 (金) 07時49分

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