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2014年5月 6日 (火)

現実というものがありまして

現実というものがありまして

北海道新聞 社説:野党再編の迷走 数合わせの発想捨てよ(5月5日)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/537379.html

維新は憲法を「国家・民族、国民の自立を損なわせしめた占領憲法」と位置づけ、ほぼ全否定する。結いは「戦後、日本国憲法が果たしてきた役割を正当に評価する」との立場で相いれない。

理念を置き去りにした政党合流は長続きしない。数の上で国会運営が少しは有利になるかもしれない。その一方で個別の政策をめぐる党内対立を招くのは必至だ。

与党は改憲や原発・エネルギー政策など、次々と重要課題を投げかけるだろう。そのたびに党内が紛糾するのでは与党への対抗勢力にはなり得ない。

民主党が示した(示している)ように、数合わせでは上手くいかないことに同意する。しかし、同意できない部分もある。

「与党は改憲や原発・エネルギー政策など、次々と重要課題を投げかけるだろう」

重要課題を投げかけるのは、現実であって、与党ではない。いや、与党は投げかけるだろうけれど、その問題は現実から発生したもので、与党はそれに向き合っているにすぎないのだ。

  *        *      *

政治の問題や課題は、国会や地方議会やさまざまな場所で議論され戦われる。しかし、それらは現実の社会から発生したものだ。その事を、政治問題は現実の問題であることを忘れてはならない。その事を忘れると、交渉や討論が「言葉遊び」や「人間関係の戦い」になってしまう。いや、政治的お遊戯になってしまうと言うべきか。

  *        *      *

少数野党が政治的な力(数の力)を求めて合従連衡することを否定はしない。しかし、現実の問題から目を逸らした合従連衡は政治的お遊戯だ。

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