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2014年5月 6日 (火)

政治の犠牲者かもしれません

政治の犠牲者かもしれません

読売新聞:旅客船沈没、捜索の民間潜水士死亡…事故後初
http://www.yomiuri.co.jp/world/20140506-OYT1T50021.html?from=ycont_latest

韓国の旅客船「セウォル号」沈没事故で、韓国政府の事故対策本部は6日、捜索活動に参加していた民間潜水士が死亡したと発表した。



民間潜水士を巡っては、対策本部が先月下旬、10分間も潜れない人がおり「作業に支障を来す」として、投入の中断を決定。家族の反発を受け、再度捜索活動に加わっていた。

亡くなれれた潜水士の方のご冥福をお祈り申し上げます。

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「作業に支障を来す」との判断が政治や面子によるものではないとは言いません(自分には判りません)。しかし、「家族の反発を受け、再度捜索活動に加わっていた」という部分に嫌なものを感じてしまいます。遺族の感情やマスコミ報道や世論に負けて、安全軽視の捜索活動をしていたのではないかと嫌な感じを持ってしまいます。

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事故から3週間が経過し行方不不明者の生存の確率は低くなってしまっています。そのようなことを理由にして潜水士のリスクを回避するのは、政治的・マスコミ対策的には許されないかもしれません。しかし、人間の命を大事にするならば、誰かが(非難されるのを覚悟で)やらなければなりません。

また、マスコミや有識者もそういった判断を(非難されるのを覚悟で)是としなければなりません。韓国にはそういったことが出来ていない(理性的な判断or人命優先が出来ていない)のだと思います。

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日本は寒国よりも政治が優先されない(≒現実が優先される)社会だと思いますので、こういった事態や事故は起こりにくいとは思いますが、起きないとは思えません。マスコミの論調や政治家の発言を聞いていると「正しさ」それも政治的あるいは感情的な正しさを優先しているのではないかと思うようなことがあるからです(例えば、原発がいまだに停止しているのは何故でしょうか。犠牲者数からすると再稼働しても社会全体の利益・社会全体で支えられる命の数からすると原発は再稼働させるべきなのですが)。

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