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2014年9月29日 (月)

嘆くことではありません

嘆くことではありません

NEWSポストセブン:「悪人はさらし者」社会でいいのか 神戸女児遺棄事件を前に
http://www.news-postseven.com/archives/20140928_278488.html?PAGE=2

あれから10年以上たって、原則はさらにないがしろにされている。

憲法で保障された生活保護制度を問題にする政治家がいる。路上で警官隊に守られながら在日韓国人の方々に差別的言辞を弄する集団がいる。私はヘイトスピーチを非難するツイートをして、集団と意見を同じにする人々からしつような罵倒のツイートが飛んできた経験が何回かある。職業柄私はそういうものには馴れているが、そうでない人々に萎縮効果を与えるだろう。

いつのまにか私たちは「人権を守れ」という当たり前の主張をするのに、勇気が要る社会にしてしまった。

ふたつばかり書きます。

  *    *    *

ひとつめ、人権を主張するのは、いつの時代であっても勇気の必要なことでした。例えば、いま私達には参政権がありますけれど、この権利は大正時代(男性のみですが)に獲得したものです。その過程で多くの軋轢がありました(戦後の日本の民主主義が、それなりに機能したのは、自分たちで獲得し運用した経験があったからと思っています)。日本以外でも、例えばアメリカで黒人差別に対して戦った人々は、彼等は人権を主張したわけですが、とても勇気があったと思います。

「いつのまにか私たちは『人権を守れ』という当たり前の主張をするのに、勇気が要る社会にしてしまった」

人権を主張することは勇気の要ることなのだと思います。というか、なにかが人権であることを社会に認めさせるということは大変で勇気のいることなのだと思います。

  *    *    *

ふたつめ、見方によっては「路上で警官隊に守られながら(中略)差別的言辞を弄する集団がいる」ことは素晴らしい社会であることを示しています。いえ、差別的言辞がすばらしい訳ではなくて、たとえそんな言辞であっても、つまり社会的に認められていない言葉であっても、デモできるという自由のある社会であるということだからです。その為に公的な組織が動く、つまり国民の総意としてです。そういった言辞であっても主張できる場を確保するという国民の意志があるのです。そしてその意志はとても広い自由を認めている。

自由のある社会はすばらしいです。

  *    *    *

それはそれとして、警官隊が守っているのは、暴力的になる人がいるからで、その暴力を許すことが出来ないからです。警官隊はデモ隊の味方ではありませんし、誰の敵でもありません。

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