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2014年9月25日 (木)

固定観念の交感は可能だけれど

固定観念の交感は可能だけれど

ハフィントンポスト:エマ・ワトソン、国連で男女平等を訴えてネット上で脅迫される
http://www.huffingtonpost.jp/2014/09/24/4chan-trolls-threaten-to-release-nude-photos_n_5871930.html

ワトソンさんは、この闘いは女性だけのものではない、と訴えた。「男性がジェンダーの固定概念に縛られていることをふだん話題にはしません。しかし私にはそう見えます。そして、男性がそうした固定観念から自由になれば、女性の側にも自然に変化が訪れるはずです」

「男性たちの娘、姉や妹、そして母親が偏見から解放されるだけでなく、彼らの息子たちも弱さを持つ人間であっても許されるように。彼らが手放した自分らしさを取り戻し、そうすることでより本物で完全な姿の自分になれるように」

人口知能の課題(解決すべき問題)のひとつにフレーム問題というものがあります。ザクッと言ってしまえば、人間は「枠組み」なしにはいられない、といものです。極端に言えば、前提条件なし完全に自由に考えてよいとなったら、なにから考えて良いかわからなくなってしまいます。この文章だって日本語だと思って読むから読めるのであって、このなかに何か暗号があるかも(ありません)と疑いだしたら切りがなくなってしまいます。そして、暗号が無いと確認できるまでに人生が終わってしまうでしょう。

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人間は「完全に自由に」考えて結論をだすことが出来るほど頭は良くありません。さまざまな形で「枠組み」が与えられていないと日常生活すら出来なくなってしまいます。

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「固定観念」とは与えられた枠組みです。これを無くせと言っても不可能です。無くしてしまっては、無くせという言葉すら理解できなくなってしまうでしょう。だから「固定観念から自由」などと言っても、絵空事か(言葉にしないけれど無意識かもしれないけれど)私と同じように考えろという要求にすぎません。

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固定観念に縛られないことは素晴らしいことです。でも一般人に出来ることではありません。私のような一般人に出来ることは、ある固定観念から別の固定観念に取り替えることぐらいです。そして新しい固定観念がいままでの固定観念よりも良いものであると(良いものとは「世界がそうなったら幸せ」ではなくて「世界がそうならなくても私がその固定観念を受け入れたら私は幸せになる」ようなものです)売り込まないと新しい固定観念は広がらないでしょう。

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固定観念なしに人間は生きられないのです。そして売り込みには、その固定観念を受け入れた人間が得をする(幸せに生きられる)ようなものであることが必要です。単に固定観念を非難しても何も起こらないでしょう。

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