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2014年10月31日 (金)

価値観の多様化・多文化共生と思いやりは両立しない

価値観の多様化・多文化共生と思いやりは両立しない

ニコニコニュース:砂浜飲酒、路上喫煙、歩きスマホも? 「規制化社会」の功罪
http://news.nicovideo.jp/watch/nw1302559?news_ref=top_topics_topic

冒頭に挙げたように、「公」を無視して「個」を伸ばすことを促せば、単にわがまま者を増やしてしまう恐れがある。

だが、モラルをわきまえ、善悪の判断がつく人まで一括りにルールで縛るのは、人格否定にも?がりかねない。それだけ規制をかけるというのは難しいことだが、まずは個々人が“規制をかけなくてもお互いに思いやる日本社会”を思い出したいものだ。

引用した記事とは直接の関係はないですが、連想をしたことを。

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「思いやる」というのは、相手のことを理解していないと出来ないことだ。例えば腹をすかせている人がいて、食事をあげようと思うことは「思いやる」ことだろう。しかし、相手がイスラム教徒だったらハラルでないとならないし断食期間中だったら食事を提供すること自体に問題がある(昼間の場合)。

イスラム教徒ではなくても、ユダヤ教徒だったら、ユダヤなりの制限があるし、それ以外の宗教だって食べて良いもの悪いものがある。お酒が禁止なのは理解しやすいけれどお茶やコーヒーがダメな場合もあるのは予想しにくい。

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ずいぶん昔の話だけれどインドに行ったとき、お店の人に道を尋ねて教えてもらって、「Thank you」と言ったら頭を左右に振られた。ガイドブックによると頭を左右に振るのは、日本での「うなずく(ちょっと顔を下げる)」ような意味だそうだ。

ありがとう、どういたしましての動作らしい。

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世界中には様々な文化がある。多文化共生・価値観の多様化と言葉でいうのは簡単だけれど、相手の望むこと望まないこと、仕草の意味、そういったものは様々で、民俗学の教授でもなければ正確な解釈は出来ないだろう。一般人には不可能なことだ。

こちらが思いやっているつもりでも、相手に取っては真逆のことだったとしても不思議ではない。

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価値観が多様化し、多文化共生の社会では「思いやる」ことなんて不可能で、ルールや法で縛るしかない。ルールや法を議論して議論して決めるしかない。

そして、一般人は、そのルールや法を学ぶしかない。

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「思いやり」と価値観の多様化・多文化共生は両立しない。

しかし、多文化共生を言う方々のほうが思いやりを求めているように私には思えてならない。強者と弱者に見えてしかたがない

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コメント

その通りですな。多文化共生を主張する側は、往々にして自分らのエゴに対して寛大足るべしと主張する事に他ならないのです。

投稿: DUCE | 2014年10月31日 (金) 22時36分

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