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2015年1月15日 (木)

相手がいるから

相手がいるから

NHK:ヘイトスピーチを問う ~戦後70年 いま何が~
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3598_all.html

近現代の歴史については、ヨーロッパやアメリカに比べて、日本人はやはり非常にまだ、特に小中教育の中では学んでいないっていう現実があります。

議論をする、判断するためにはまず何があったかということを知るということは、とても大切だと思いますし、あと寛容性というものは、人と交わることによって、それが現実を一つ一つ、実証していくことによって、できるようになると思うんですね。

これも私は、日本人は非常に得意とするところだと思うんです。

抽象的な概念ではなくて、実際に特権があるのか、この人たちは隣でどういう暮らしをしているのか、サイレントマジョリティーとしてそれを通過するのではなくて、自分もコミットして、どういうふうにこれからあす、一緒に暮らしていくために何が必要かということを、できるだけ自分の課題、問題、あるいは自分のプラスとして考えることが大事だと考えますね。

日本は民族問題について経験の少ない国だと思う。民族同士が徹底的に戦うという経験はない。戦争についても明治維新までは、秀吉の朝鮮出兵と古代国家の時代にしか異民族と戦った経験はない。

日本は民族問題については経験不足なのだ。

  *      *      *

日本は適当で徹底的に敵を攻撃する(≒殺す)ことは少ない。なんとなくゆるしたりする。しかし、世界には徹底的に戦う民族もいる。敵対する側の人間が一人でも生き残っていたら不安でたまらない人々もいる。

  *      *      *

「寛容」を行うには、自分の側だけでなく相手の側にも「寛容」が必要なのだ。

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コメント

>「寛容」を行うには、自分の側だけでなく相手の側にも「寛容」が必要なのだ。

まさしくその通りですな。そうでなくては、こちら側がいくら寛容を示しても、もっぱら相手側のエゴによって「浪費」されてしまうだけです。到底そのような相手に対して寛容でいられるはずがないじゃないですか。

投稿: DUCE | 2015年1月15日 (木) 21時42分

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