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2015年1月10日 (土)

原因追求というなら

原因追求というなら

中日新聞 社説:原発ゼロへの再出発 年のはじめに考える
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2015011002000105.html

逆流する時間を止めて、私たちは何をすべきでしょうか。

泉田知事の言うように、まずは事故原因の徹底的な究明です。そして情報公開です。それに基づく科学的判断と国民的議論です。安全か、安全ではないか。最後に決めるのは、私たち国民です。

人は痛みを忘れることで過ちを繰り返す。新しい年を忘却と後戻りの年にしてはなりません。

原因追及は大切です。ですが、方向性を間違ってはいけません。

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福島原発事故では、漏洩した放射能では死傷者はおろか健康被害も出ていません。被害ゼロです。一方、避難ストレスや風評被害では多数の被害が出ています。

で、あるならば、原因追及は「何故、過剰に避難しているのか」「何故、風評被害が起きたのか」も追求すべきです。そちらの原因を追求しないでおいて、次の事故の時に被害を減らせるでしょうか。

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事故自体の原因究明が大事でないと言うつもりはありません。しかし、死傷者は過剰避難や風評被害で出ています。そちらの原因追求も忘れてはなりません。

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この社説は、「非常時に枝葉末節と責任追求こだわる偉い人」、あるいは「言いがかりを無限につける人」みたいです。

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