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2015年2月23日 (月)

移民は出身国の文化にこだわるべきではない

移民は出身国の文化にこだわるべきではない

朝日新聞:「世界一幸福な国」移民めぐる悩み デンマーク連続テロ
http://www.asahi.com/articles/ASH2Q5CX9H2QUHBI00Y.html?iref=comtop_6_02

ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のイスラム教徒、アドナン・アブディッチさん(29)も訴えた。「事件の原因は、『表現の自由』を盾に風刺画でイスラム教徒を侮辱した人たちだ」

1993年に内戦中の母国を逃れた。デンマークでは難民申請が認められるなどして滞在許可が出ると、生活費のほか、語学や職業訓練などの支援を受けられる。アブディッチさんもおかげで専門学校を卒業できた。

だが、「移民の社会への融合が語られるとき、国が手厚い保護をする代わりに、自分の宗教や文化の一部を捨てろと言われているように感じる」と話す。

国家や社会が「手厚い保護をする」、つまりお金と手間をかけるのはその国家や社会なので、当然、その国家や社会の文化や習慣に従ったものになる。多少の配慮は出来るだろうが、なにもかも移民の出身国と同じには出来ない。どうしたって移民の持つ文化や習慣と対立する部分がでてくる。

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「移民の社会への融合が語られるとき、国が手厚い保護をする代わりに、自分の宗教や文化の一部を捨てろと言われているように感じる」なのは当然ではないか。

移民するということは、自分の出身国の文化とは違う社会で暮らすということだ。自分の文化を全てを維持しようなんて無理な話なのだ。

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移民する理由には色々あるだろうが、社会的な事情、内戦・内乱や独裁的な政治という場合もあるだろう。であるならば、その状況をもたらした習慣や文化をそのまま移民先に持ち込んだらどうなるだろうか。移民先も同じような状況にならないだろうか。それは幸せなことなのか?

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移民するということは、宗教・習慣・文化のいくばくかを失うということでもあるのだ。

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コメント

そう言う物を全く放棄がする気がないのならば元の国に鎮座すべきであって、よその国に自ら移住すると言う決断をしたからには、他人から捨てろと言われる以前に、自ら率先して捨てる物がある事を自覚すべきであります。
基本的に元からの住人は、移住者の文化なんぞに興味がないのでして、移住者がそうした物を全く放棄する気がないとしたら、他人の家に土足で入り込んだとしてそうした物を拒否する人間が続出する事は避けられません。

投稿: DUCE | 2015年2月24日 (火) 13時40分

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