民主主義社会での暴動、言論の自由とデマ
民主主義社会での暴動、言論の自由とデマ
昨日書いた記事(反原発は美味しんぼをどう評価すだろうか?)に少し書き加えます。
* * *
非民主的な社会でも民主的な社会でも暴動が起きることがある。ところで、民主的な社会での暴動には、ひとつの特徴がある。それは、指揮されていないということだ。非民主的な社会での暴動も指揮されていないことは多いけれど、それなりの指揮系統や組織を持っている場合もある。
なぜ、民主社会の暴動は指揮されていないのか。それは、民主社会では、指揮する能力(政治的な能力と意志)がある人間は、正規のルートで既存の仕組みに取り込まれてしまうからだ。つまり、暴動をしている人々には指揮する能力を持った人間はいないのだ。だから、民主社会での暴動はまとまりがなく、社会に大きな影響を与えることなく終わってしまう。
* * *
同じように考える。言論の自由がある国で、デマや嘘を発表し、あるいは信じる人々は、どんな人々だろうか。そういった人々が世の中に影響を与えるような力をもった組織を運営できるだろうか。
* * *
反原発派、特に極端な事を主張する人間、福島から脱出することを提案するような方々が、社会に大きな影響を与えることは出来ないだろう。せいぜい、迷惑な風評被害を起こす程度だろう。
| 固定リンク
コメント