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2015年2月 6日 (金)

「多様な個性」のためには芯が必要

「多様な個性」のためには芯が必要

中日新聞 社説:道徳の指導案 多様な育ち妨げぬよう
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2015020602000109.html

子どもの実生活から離れ、教科書の偉人伝や例話を手本とする授業にばかり偏っては、価値観や生き方を束縛して危うい。教育勅語を背骨とした戦前の修身科の過ちを忘れるべきではない。

その教訓に学ぶとすれば、これからの道徳教育で重要になるのは、子どもに「常識」を疑う力を身につけさせることではないか。国や社会はもちろん、先生や教科書がいつも正しいとは限らないと批判的に見て、考える力である。

道徳科は「国を愛する態度」をも、子どもに求める。多様な個性を育み、主体性を伸ばすというのであれば、さまざまな議論があってしかるべきだろう。

「多様な個性を育み」

その個性が「イスラム国」のようなものであってもですか?

多くの人が、その個性が「イスラム国」のようなものであったら、拒否するでしょう。多様性といっても限界があるのです。であるならば、必要な議論は、許される個性はどこからどこまでかというものです。単に「多様な個性を」などと言っているだけでは意味がありません。というか、自分の我侭を許せと言っているだけと思われてしまいます。

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「多様な個性を育み」と言うときには、これはダメと拒否リストを示すか、あるいは芯となる思想・価値観をしめさなければなりません。基準があってこそ自由になれるのです。

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中日新聞の社説は、一つの拒否を示しています。「教育勅語を背骨とした戦前の修身科の過ちを忘れるべきではない」つまり、多様な個性を認める、ただし教育勅語はダメだと。

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私は戦前の教育が全て良かったとは思いません。専門家ではない自分には具体的な指摘は出来ませんけれど、完璧でなかった・不十分な部分があったと言うことは出来ます。何故なら、その教育を受けた人々・その教育システムで優秀と判断された人々の指導で、日本は戦争に負けたのです。負けた以上は、どこかに欠点があった事は明確です。教育勅語や修身の評価はともかくとして、少なくともそれだけでは十分ではなかった。

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ただ、私は現在の道徳と戦前の修身くらべて、修身がそんなに悪いものとも思わないとも付け加えておきます。

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コメント

日本では不道徳な人が道徳語ってますね。
いけない訳ではありません。

漫画家 小林よしのり
評論家 西部すすむ
この二人は自覚してますが。

あと岡田斗司夫

よしりんの『あのな、教えたろか。』

岡田斗司夫を「ゴー宣道場」に、しかも「道徳」がテーマのときに、ゲストとして呼んだことを深く恥じているわしです。

だが議論してみて、彼の理屈がペテンであることがわかって、しかも礼儀や道徳が全然ない人物ということがわかったことが、教訓になった。

https://www.gosen-dojo.com/index.php?action=pages_view_main&active_action=journal_view_main_detail&post_id=4371&comment_flag=1&block_id=1998

投稿: KAN | 2015年2月 6日 (金) 16時49分

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