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2015年2月16日 (月)

表現の自由と我慢と分離

表現の自由と我慢と分離

毎日新聞:デンマーク:窓越しの銃乱射 銃声消えても恐怖まざまざ
http://mainichi.jp/select/news/20150216k0000m030075000c2.html

福祉国家で所得格差が少なく、充実した教育の国として知られるデンマーク。静寂を取り戻した現場には、喪失感と理不尽な暴力に対する怒りが満ちていた。だが、パキスタン系移民のタクシー運転手モハメドさん(50)は、事件を非難する一方でこうも話した。「多くのイスラム教徒の感情を傷つけてまで守る言論の自由とは、一体何なのだろうか」

誰の感情も傷つけない表現とはどんな表現だろうか。それは極めて制限された無味無臭の味気ない表現であるにちがいない。誰かを傷つけることを目的とした表現は良くないし配慮も必要だろう。しかし、完全な配慮は不可能だし、力を持った表現であればあるど誰かを傷つける可能性が出てくる。

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「多くのイスラム教徒の感情を傷つけてまで守る言論の自由とは、一体何なのだろうか」

これはイスラム教徒に限らない。アメリカでアメリカ国旗を焼くデモ行為が行われることがある。アメリカ国民にとって感情を傷つける行為であるり表現であることは間違いない。そんな事をしたらアメリカでは嫌われ者になってしまう。しかし、国旗を焼く行為も表現の自由として認められている。

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表現の自由とは不快な表現を我慢すること。あるいは不快な表現には暴力でなく表現で応えることだ。

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しかし、そうは言っても不快な表現を不意打ちで見せられるたくないといのも理解できる。でも、出来ることは、18禁のように「◯◯教徒にとって不快な表現が含まれています」といった表示をして、見たくないものは見ないでいられるように配慮することぐらいだろう。

社会の多数派が不快と感じるならば、あるいは分離が必要と思えば、分離することを強制できる。

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表現の自由には、我慢と分離が必要だ。

不快な表現を我慢する社会の方が、表現の自由のない社会(下手な表現をしたら暴力をふるわれる社会)よりも、よっぽど幸せな社会だと私は思う。

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