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2015年3月31日 (火)

エリート層と庶民のギャップ

エリート層と庶民のギャップ

JBpress:成長だけでは欧州を極端な政治思想から救えない
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43301?page=2

さらに言うなら、経済が危機に陥っているという認識は、極端な政治思想がフランスで支持される理由の1つに過ぎない。FNを躍進させたのは、そしてイタリアやドイツ、英国で過激な政治運動が台頭する原動力になっているのは、移民への恐怖心とエリートの腐敗への怒りだ。

エリート層、あるいは富裕層の移民に対する視線と庶民の移民に対する視線は同じだろうか、異なるだろうか。私には異なるように思える。

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経済的に余裕のある人々は、隣の部屋に移民の家族が住んでいる、などという状況にはならない。いや、隣に住んでいるかもしれないけれど、その隣とは十分に距離があるに違いない。対して庶民の場合には、突然、隣が異民族の家族になってしまったり、そして自分には引っ越すお金がなかったりする。距離が小さいことは、さまざまな生活上の問題にもぶつかりやすい。同じ民族同士でもぶつかるのが人間なので、言葉や習慣が違えばぶつからないほうが不思議なぐらいだ。

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仕事のことを考えてみる。

エリート層、あるいは富裕層にとって移民は、労働力であり資源であり、自分の仕事のライバルではない。庶民にとっては、仕事を奪い合うライバルだ。

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「移民への恐怖心とエリートの腐敗への怒りだ」

エリート層、あるいは富裕層と庶民では、移民に対する視線は全く違う。

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エリート層にとっては移民も庶民も同じようなものかもしれない。しかし、もし、そうであれば、例え経済的には同じであったとしても、それは民主国家の否定だ。民主国家は「国民は仲間同士」というフィクションによってなりたっているのだから、移民(外国人)と庶民(国民)を同じに扱うことなど出来ないのだから。

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コメント

シンガポールにはいろんな人種や国籍、社会階層の人が住んでいるが、基本的に交わらない。
エリートは高等教育で選抜されるか、海外からヘッドハンティング、3K労働は南アジアの国から呼んでくる。
機能的ではあるが、流動性のある市民社会とは程遠い、コンパートメントに分けられた社会だ。

社会工学の結晶であるシンガポールが経済的におかしくなったとき、一体どうなるだろうか。
台湾のように中国から圧力をかけられればかけられるほど、土着アイデンティテぃーが強まるような国に比べ、シンガポールはずっと脆いと思う。

2人のリー:「リー・クワンユー」と「李登輝」
http://www.fsight.jp/33952

投稿: kan | 2015年4月 1日 (水) 11時54分

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