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2015年5月 3日 (日)

憲法を国民の手に

憲法を国民の手に

毎日新聞 社説:憲法をどう論じる 国民が主導権を握ろう
http://mainichi.jp/opinion/news/20150503k0000m070078000c.html

そこには、二つの側面がある。一つは、連合国軍総司令部(GHQ)が作った憲法を、日本人自身の手で書き換えること。いわゆる「押しつけ憲法」論である。憲法を、国家のアイデンティティーの確立に利用する、上からの憲法論だ。

二つ目は、憲法を、国民の手から政治家の手に「奪い取る」という発想だ。安倍政権が2年前、96条を改正し、国会の改憲発議に必要な数を衆参両院の3分の2以上から過半数に下げて改憲しやすくしようとしたのは、その典型である。

いまの日本国憲法は不磨の大典となり死文となりつつある。典型的なのが九条だ。憲法九条と自衛隊を両立させるために神学的な解釈を必要としている。憲法が国民のものであるいためには、憲法は判り易くあるべきなのだが、日本国憲法の特徴である九条からしてシンプルに読んではいけないのだ。

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憲法解釈がややこしいから、安倍さんが憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を可能になる。もし、シンプルな文章で「集団的自衛権は禁止(あるいは許可)」と書いてあれば、こんな問題はおこらない。

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安倍さんが96条を改正しようとしたとき、これは国民の手に憲法を取り戻すことにつながるのだと思った。憲法について国民が投票などで意思表示をするチャンスだと思った。

明治憲法が制定された時、日本国憲法が制定された時も、国民の意志を問う投票はなかった。

どちらの時も、鐘と太鼓を叩いて喜んでいただけ。

明治憲法の時は明治政府に、日本国憲法の時にはGHQ(と日本政府)に決められて国民には判断する機会はなかった。

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そういう事を考えている自分からすると、「憲法を、国民の手から政治家の手に『奪い取る』という発想だ。安倍政権が2年前、96条を改正し、国会の改憲発議に必要な数を衆参両院の3分の2以上から過半数に下げて改憲しやすくしようとしたのは、その典型である」などという文章を読むと、この人は何を考えているだろうと思う。国民の意志を問いやすくすることが、なぜ国民の手から「奪い取る」ことになるのだろうか。

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憲法改正反対も一つの政治的意志ではある。しかし、ロジックが破綻していては、その政治的意志そのものが珍妙なものに見えてしまう。

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