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2015年6月 9日 (火)

掛け声だけでは

掛け声だけでは

沖縄タイムス:沖縄の「岐路」 筆者座談会
http://press.okinawatimes.co.jp/cad/2015/06/09/%E6%B2%96%E7%B8%84%E3%81%AE%E3%80%8C%E5%B2%90%E8%B7%AF%E3%80%8D%E3%80%80%E7%AD%86%E8%80%85%E5%BA%A7%E8%AB%87%E4%BC%9A/

与儀 琉球への薩摩侵攻(1609年)から明治政府による琉球処分(1879年)までは270年に及ぶ。同時代は薩摩と中国に「両属していた」とも表現されるが270年も琉球が独自の王国を持続できたことを考えると「単に従属的な立場だったとはいえない」との指摘もある。薩摩や明治政府への激しい抵抗運動も存在した。

城間 薩摩への従属を拒んで処刑された謝名親方鄭迵(ていどう)を、現在の日本政府と沖縄の対立を重ね合わせて日本への「抵抗のシンボル」としたり、琉球の芸術文化の価値が再評価されている。大国と大国の間で自らを磨いた歴史を学ぶことで、自分の立ち位置に自信をつけ、琉球を鑑にして沖縄が今後行くべき道を探るという現代の側面が浮かび上がった。

掛け声(スローガン)だけの社長や営業さんは大嫌いだ。実力がない、技術や資金の裏付けがない目標も大嫌いだ。それは不幸を引き起こす。

社長や営業レベルなら被害は限定的だが国家レベルになると被害は甚大だ。国民を飢えさせないだけの食料(や食料生産の技術)や他国の暴虐から国民を護る実力のない国家が理想をかかげて暴走するとどうなるか。

鬼畜米英、一億火の玉、神国日本、どうなっただろうか。

これはスローガンや理想の罪ではない。しかし国家に実力が無かった事は罪であり、そのことを認識しなかった施政者の罪だ。多くの国民を死なせてしまったのだから罪が無いなどとは言えない。

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琉球への薩摩侵攻(1609年)、明治政府による琉球処分(1879年)。

琉球には自国を護るだけの実力が無かった。その結果だ。

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沖縄が独自性を求めるのは良い。しかし、実力がない独立は不幸をもたらすこと、自分の実力・相手の実力の評価を正しくすること、こういった事に自覚ない者の独自性やスローガンは不幸をもたらす。そして、その不幸は逃げられない者(さまざまな社会的弱者)が多くを引き受けることになる(金持ちや知識階級は脱出できる)。

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知識階級は理想を語るべきではあるけれど、その結果が何をもたらすかについても自覚的でなければならない。そして民衆に訴える時には理想やスローガン・キャッチコピーだけでなく、もたらすだろう結果についても語らなければならない。その上で民衆の判断(世論の判断・選挙の結果)を受けねばならない。

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