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2015年6月 8日 (月)

威嚇と暴力で憲法九条を護る

威嚇と暴力で憲法九条を護る

朝日新聞:見渡す限り「アカン!」 安保法制「ノー」訴える集会
http://www.asahi.com/articles/ASH675JYCH67PTIL00C.html?iref=comtop_photo

憲法9条の解釈を変え、集団的自衛権を使えるようにする安全保障法制の関連法案の成立を急ぐ安倍政権に対し、「憲法改正の手続きをとらない『なし崩しの法制化』はノー」と訴える大規模集会が7日、大阪市内で開かれた。主催した大阪弁護士会によると、約4千人が参加。集会後は繁華街に繰り出し、抗議の声を上げながら練り歩いた。



弁護士会の憲法問題特別委員長が「反対の声を上げよう」と呼びかけると、女性や若者らが「アカン!」と書かれた黄色い紙を一斉に掲げた。

私はデモを否定しない。民衆の(関心の低い人々の)注意を引くには必要な行為であり施政者に意志を伝える方法でもあるからだ。私が指摘したいのはデモ行為と軍隊の類似性だ。

デモ隊と軍隊は、威嚇(脅迫)という方法を用いる点で同じ線上に乗っている。差は常設・組織化といったレベルの差で根底にある道具は「暴力」と「威嚇」であり同じものだ。

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人間が自分の意志を貫く方法は、古来よりさほど変わらない。用いる技術は変わっても、話し合いと威嚇と暴力だ。

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「女性や若者らが「アカン!」と書かれた黄色い紙を一斉に掲げた」

憲法九条や反戦の方々がデモ行為を行っていると、しかもそれが統率の取れたものだったりすると、皮肉を感じる。彼らは軍隊に反対していたハズなのに軍隊化していると。

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彼等の行為そのものが人間の持つ限界を示している。暴力を用いる可能性、威嚇、そして多くの人間が連帯すること(集団的自衛)の有用さを示している。

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 集団的自衛権を推進する側と反対する側、代表する利益は異なるかもしれないが、手法の本質的部分は同じであり、反対する側が権力を握っても暴力と威嚇はなくならない。ただ軍隊の指揮権が右から左へと動くだけだろう。

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