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2015年6月20日 (土)

寛容な社会は好きだけれど

寛容な社会は好きだけれど

時事通信:極右伸長、欧州に警告=連続テロ、移民殺到-デンマーク総選挙
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2015061900614

18日に投開票されたデンマーク総選挙では、欧州で一般に「極右」とみなされているデンマーク国民党(DPP)が議会第2党に躍進した。次期政権で大きな発言力を持つことになりそうだが、デンマークが抱える問題は多かれ少なかれ欧州全土に共通する。欧州連合(EU)各国への深刻な警告となった。



反移民のDPPは、かつてない追い風の中で投票日を迎えた。1月にフランスで起きた風刺週刊紙シャルリエブド襲撃など連続テロに続き、デンマークでも2月、首都コペンハーゲンで討論会などを狙った連続テロが起きた。いずれも移民の出自を背景に持つ容疑者らによる犯行だった。さらに、地中海を渡って移民が殺到する事態が続き、社会全体を不穏な空気が覆っていた。

こうした風潮はデンマークだけのものではない。ハンガリーは17日、移民流入阻止のため、セルビアとの国境沿いに高さ4メートルのフェンスを設置する方針を明らかにした。オルバン政権には、反移民の極右政党「ヨッビク」に支持率で追い上げられている事情がある。

私は寛容な社会が好きだ。どんな人間だってギスギスした非寛容な社会よりも寛容な社会の方が暮らしやすいにちがいない。でも、寛容な社会には問題もある。寛容な社会は非寛容な人間も受け入れざるを得ず、そういった人間は問題を引き起こし人間を非寛容にする。非寛容な社会になってしまう。いま、ヨーロッパで起きていることは、こういうことだ。

寛容な社会を目指した。価値観や宗教の異なる人間、つまりイスラムの人々、アフリカの人々も受け入れた。そして、彼等が
彼等の価値観が)問題を起こし、地元の人々の我慢の限界を越え、非寛容な政治的主張をする政党が政権へと近づいた。

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デンマークで、いやヨーロッパ各国で起きている排斥運動に対して、寛容な社会を目指した人々は何と応えるでしょうか。単純に寛容を訴え、人間として云々と言うだけであれば、仮に一時的な勝利はあっても人間の本能と愚かしさには勝てないでしょう。つまり、さらなる排斥運動が起き、それに負けることになる。

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私は寛容な社会を目指した人々が人間の本能と愚かしさを克服するような知恵を出してくれることを望んでいる。そんな答えはないだろうとは思うけれど、私は寛容な社会が好きだから望んではいる。

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現実的な解としては、社会の基本的な価値観を決めてしまい明示してしまうことだろう。例えばキリスト教。そして、その価値観から外形的な縛り(内面的な縛りではない)を決める。日曜日は安息日、イスラム風の服装は禁止、などなど。それを受け入れられる人間だけを移民として受け入れる。

それが寛容な社会といえるかどうかは疑問だけれど、移民排斥よりはマシではないだろうか。

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日本の場合は、日本的な(神道的な)あいまいさ、恨みつらみを水に流してしまえること、なんでしょうかねぇ(その価値観に浸かっていると却って判らないものなのでしょうか。判らなくすみません)。

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コメント

他人の寛容にただ乗りするだけで、やたらと無体をするようでは駄目です。いつく連中は自身のエゴだけを押し通すだけの場合が往々ですから、嫌われるのですよ。

投稿: DUCE | 2015年6月20日 (土) 05時44分

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