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2015年8月 7日 (金)

謝罪すること、謝罪を受けることの効果を考えて

謝罪すること、謝罪を受けることの効果を考えて

テレビ朝日:オバマ大統領の被爆地訪問 将来の可能性に含み
http://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000056340.html

アメリカ国内では、大統領の被爆地訪問は原爆投下を謝罪したように受け取られるとして、反対する声が強くあります。ただ、アーネスト報道官は、安倍総理大臣が春の訪米で第2次世界大戦への反省やアメリカとの和解を表明したことは関係国の利益になっていると評価し、オバマ大統領が将来、日米の友好のために被爆地を訪れる可能性に含みを持たせました。

オバマ大統領が(アメリカを代表して)謝罪したとして、それはどんな意味を持つのだろうか。両国の国民感情や政治状況にどんな影響を与えるだろうか。

「謝罪する自分、正義でかっけー」とか「謝らせて気持ちいいー」といった自己満足や感情的な充足から謝罪を望んではいないだろうか。権限のない野次馬なら、それで良いかもしれない。しかし、政治家(そして政治家を選ぶ主権者)であれば、それが何をもたらすのかを考えていなければならない。

  *        *       *

いま現在はアメリカは謝罪しない方が良いと私は思う。アメリカ国内の感情的な軋轢、そして謝罪の政治的な利用価値を考えると、いま現在はアメリカの謝罪はトラブルの種にしかならないのではないか。故に、いま現在は、アメリカの謝罪は必要ない。

もしろん、それはアメリカの原爆投下が正義であることを意味しないのだけれど。

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