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2015年8月 2日 (日)

ストレスのかかる社会

ストレスのかかる社会

毎日新聞:余録:4年に1度開催される「ワールド・アウトゲームズ」は…
http://mainichi.jp/shimen/news/20150802ddm001070151000c.html

▲一方、LGBTの人たちが心身の問題を抱えていることは知られていない。職場や学校での差別やいじめに起因するうつ、引きこもりなどだ。心身の健康を維持するためには適度な運動が欠かせないが、更衣室での「異性」の視線が気になり、踏み出せない人もいる。「スポーツをするかしないかは命に関わる問題」と村木さんは指摘する▲多様性を認め合い、人権を尊重する社会は暮らしやすい。その実現に向けスポーツにもできることがある。欧米以外では開かれたことがないアウトゲームズを日本で行うこともそのひとつだろう。

「多様性を認め合い、人権を尊重する社会は暮らしやすい」

単純にそう思って良いのだろうか。

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「多様性を認め合う」と言うことは、自分の感覚や常識の通用しない人間とつきあうと言うことだ。これが負担でない理由がない。

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「多様性を認め合い、人権を尊重する社会は暮らしやすい」この言葉は、自分の感覚や常識を他人に尊重してもらう立場からだけしか見ていないような気がする。他人の常識(自分にとっては非常識)を尊重する側からの視点が欠けているような気がしてならない。

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「多様性を認め合い、人権を尊重する社会」は、それを維持するためにストレスのかかる社会でもある。

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コメント

多様性推進派の主張は、つまり多様性を認め合おうといいつつ、保守的な人の存在は認めないということですよね。
これはナショナリストに対するグローバリストの批判にも似ています。
ナショナリストは他国の文化を認めないから排他的と批判しつつ、グローバリストはナショナルな固有の文化を全て破壊して個性のないもの、一色の普遍文化に染め上げようとする。
どちらも一見、多様性を尊重しようという主張なんだけど、固有の規範や文化を保守するのを止めさせ、世界を一色だけの価値観で覆い尽くそうという実は隠された排他性の強い運動なんですよね。

投稿: ななし | 2015年8月 2日 (日) 15時16分

多様性を認め合うとは、相互隔離しかないと言う事です。
自分に関して言うならば、「萌え」なんぞはもっぱら他人さまが耽溺するだけにとどまっている分には寛大でいられるのであって、自分がそう言うキャラクターを見る分にはうんざりであります。

投稿: DUCE | 2015年8月 4日 (火) 08時21分

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