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2015年8月 9日 (日)

それは政治ですから

それは政治ですから

NHK:ヒバクシャの声が届かない ~被爆70年 “語りの現場”で何が~
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3696.html

見えてきたのは、被爆者が「語り継ぎたいのに語りにくい」状況が生まれているという実態だ。これまで被爆体験を語ってきた人たちの4割が「語る場が減っている」と回答し、その理由として「証言が求められなくなった」と指摘する人が40%に上っている。学校などの教育現場では、教師たちがカリキュラムに追われ、平和を教える経験を失うと同時に、子どもたちに平和を語ることそのものに萎縮してしまっているのだ。

国家とは暴力装置だ。その地域で圧倒的な暴力(軍事力・警察力)を持ったものが国家となり、その暴力(軍事力・警察力)の使い方を決めるのが政治だ。軍事力にかかわることは政治なのだ。

故に、平和を訴えること、平和になったらいいなぁ~と言う程度であればともかく、真剣に平和を訴えることや核兵器の廃絶を求めることは政治活動そのものだ。

被爆体験を伝えることは政治活動であること、あるいは簡単に政治活動に転化するということに対して、無自覚ではなかっただろうか。その結果が、「『語り継ぎたいのに語りにくい』状況が生まれている」「子どもたちに平和を語ることそのものに萎縮してしまっている」という状況ではないだろうか。

  *        *        *

教育現場や子供達のいる場所に政治を持ち込んではならないとは言わない。しかし、何をどのように持ち込むか、という議論なしに行うことは許されない。

少なくとも、語りたい側(語らせたい側)は政治であることを意識し議論するべきだ。

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