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2015年9月10日 (木)

憲法が国民のものであるならば

憲法が国民のものであるならば

朝日新聞 社説:参院審議、大詰めへ―「違憲」法案に反対する
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1

事実、首相が「憲法を国民の手に取り戻す」と訴え、憲法改正の発議要件を下げる96条改正を訴えた時期があった。視線の先には9条改憲があった。

これが立憲主義に反すると批判を浴びるや、首相は解釈改憲にかじを切る。

少人数の閣僚だけで閣議決定し、圧倒的な与党の数で法案を通し、実質的な改憲をはかる。国民の合意形成という手順を省き、政府・与党の閉ざされた合意だけで事を済ます。

いま、憲法は国民の手から奪われようとしている。

「いま、憲法は国民の手から奪われようとしている」

いままで一度でも憲法について国民の意志が問われたことがあっただろうか。私のような有象無象や朝日新聞の編集委員のような優秀な方まで、さまざまな人間が憲法について語ってはきたけれど、国民投票のような公式な意志表示が求められたことも、行われたこともない。そして、現行憲法は旧憲法の下で(つまり「大日本帝国憲法」の下で)帝国議会で決められたのだ。

そもそも、憲法に国民の意志が反映されているかどうかから疑わしいのだ。それを「国民の手から~」などと言っても笑ってしまう。

  *        *        *

憲法改正の発議要件を定めた96条は議論されてよい。それは「だれが憲法を決めるのか」という根本的問題、言い換えれば「憲法は誰のものか」という問題なのだから。

  *        *        *

現在の96条は、両院の3分の2の賛成が必要と定めている。これは国会の6分の1を押さえれば、国民に意志を問わないでよい権利(国民の意志を無視する権利)があると定めているのだ。

憲法が国民のものであるならば、持ち主である国民の意志を問うことのハードルが異常に高いのは何故なのだろうか。いままで一度も国民投票が行われていないのは何故なのだろうか。

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