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2015年10月 1日 (木)

国民の審判を受けているもの、受けていないもの

国民の審判を受けているもの、受けていないもの

毎日新聞:◇全国各地で訴訟の動き相次ぐ 統治行為論の壁
http://mainichi.jp/shimen/news/20151001dde012010002000c.html

統治行為論とは「高度の政治性を有した国家行為については、一見して違憲無効と認められない限り、司法審査権の範囲外」とする考え方。日米安保条約の合憲性が争われた砂川事件の最高裁判決(1959年)で言及され、その後も自衛隊の合憲性が問われた長沼ナイキ訴訟控訴審(76年)などで司法判断を避ける際にも使われた。

裁判所の消極的な姿勢に対し、「やっぱり九条が戦争を止めていた」などの著書がある弁護士の伊藤真氏は「今回は統治行為論で逃げてはいけない」とくぎを刺す。この論理で憲法判断を政治に投げ返す場合、二つの前提条件があるとの考えに基づく批判だ。

一つが、正当な選挙で選ばれた国会議員で構成された国会であること。もう一つは、政党同士が立憲主義という価値観を共有し、審議で歩み寄る姿勢を持っていること−−だ。伊藤氏はいずれの条件も満たしていないと指摘する。

一票の格差はあっても国会は国民の審判を受け、国民が選んだものです。ところで、憲法は国民の審判を1度でも受けていましたっけ?

   *        *       *

国民の審判を1度も受けていないものと、国民を受けているもの。国民の審判を受けていないものを重視し、国民の審判を受けている人々の判断を軽視する。それは民主主義なのでしょうか。それで国民に主権があると言えるのでしょうか。

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