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2015年11月11日 (水)

「手」があるから

「手」があるから

朝日新聞:重い障害の我が子、母と姉チンパンジーが世話する意味は
http://www.asahi.com/articles/ASHC95WW3HC9PLBJ001.html

京大の中村美知夫・准教授らは、アフリカ東部のタンザニアで約60頭の集団を長期間観察。今回確認されたチンパンジーの子どもは、生まれた時から目がうつろで足が弱く、生後数カ月たっても自力で座れないなどの特徴があった。

自力で母親に抱きついていられないため、母親は片手で子どもの体を支えながら移動。11歳離れた姉も子育てに加わり、姉が「子守」している間に母親が食事に出かける連携が頻繁に見られた。生まれてから約2年後に死んだとみられる。

中村さんは「母親や姉のケアがあったから野生でも生きられた可能性があり、障害のある子に人間の祖先がどう接してきたかの理解にも役立つ」という。成果は国際学術誌プリマーテス(電子版)に掲載された。

私には研究を評価する能力なんてないけれど、このニュースを見て思ったことがある。それは「『手』があるからね」。

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ニホンザルでも死んでしまった子供を長期間かかえて歩く母猿が観察されることがある。チンパンジーにもニホンザルにも「手」があって子供を抱えて移動することができる。

では、「手」のない動物、例えば馬ではどうだろうか。母馬にどんなに我が子に対する愛情があっても、周囲の馬に社会性があったとしても、障害のある子馬に対して何が出来るだとうか。子馬が自分で立ち上がって、自分で乳を飲まなければ死んでしまう。親に出来るのは近寄ることくらいだ。

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人間社会にあてはめてみる。

気持ちや愛情や社会性があっても助ける方法がなければ何も出来ない。社会が福祉を実効する為には様々な資源が必要だ。金・施設・人間・知識など。そして、それを支える社会や経済。

現実の問題、現実の能力を考えない人々、考えない要求は結局のところ役立つ事は何も出来ないのだ。

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