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2015年11月20日 (金)

「文明圏を越えた人類普遍の価値」という思想

「文明圏を越えた人類普遍の価値」という思想

朝鮮日報:【寄稿】普遍的価値を全否定する日本と欧州の極右民族主義
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/11/19/2015111900708_2.html

欧州や日本の右翼思想は、逆の立場から自分たちを根本的に否定するISの原理主義とは根元が違うが、妙に似たところがある。差別や排除、相手に対する否定があるだけで、共存や和解、寛容、配慮という考えがない。文明の衝突を擁護するだけで、文明と文明の対話や和解の余地はない。相手方の文明に対する対等な価値の付与もない。何よりも、文明圏を越えた人類普遍の価値に対する尊重が感じられない。開放と和解、相互の尊重や共生こそが、人類の文明がつくり出した歴史的な発展の産物であることを忘れている。これは日本の右派も、欧州の右派も見過ごしがちな落とし穴だ。

日本にも、「文明圏を越えた人類普遍の価値」があるという立場や思想に共感する人々がいる。しかし、「文明圏を越えた人類普遍の価値」も、それ自体が一つの思想だし、「開放と和解、相互の尊重や共生こそが、人類の文明がつくり出した歴史的な発展の産物」だとしても、「何を」「どのように」開放するか、「何をもって」和解したとするのか、そういった各論・具体論に入ったとたんに闘争が始まってしまう。

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ところで、自分の主張を否定する相手を「文明圏を越えた人類普遍の価値」を尊重しない者として非難する狭量な人々に心当たりはないだろうか。

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寛容を言いながら、寛容でない者には容赦しない人々。和解を言いながら和解の条件を強制する人々。こういった自己矛盾に気がついていない人々がいる。気がつかないまま無自覚に他人に強制して、自分は相手の人権や自由を護ったと思い込んでいる。

ナントカ教原理主義が「かれらは、殺されて当然。殺された方が当人達の幸せ」と思ってたりするように。

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「文明圏を越えた人類普遍の価値」があることを否定はしないけれど、それは役に立たないタテマエか闘争の道具としても使えるものだ。

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