« 民主主義は「溝があること」を前提にするが | トップページ | 民主主義のコスト、非民主主義のコスト »

2015年12月26日 (土)

クリスマスの無い世界を望むか

クリスマスの無い世界を望むか

WSJ:【オピニオン】死に絶えたクリスマス、様変わりのNY繁華街
http://jp.wsj.com/articles/SB10042852630784164445404581437503494518080

12月の「ホリデーシーズン」に差し掛かかったころ、テネシー大学のダイバーシティー推進オフィスは、「ホリデーパーティーがクリスマスパーティーに見えないようにする」ための指針を公表した。

「これでは偽物のクリスマスパーティーを開かなくてはならなくなる」。仰天したテネシー州議会がこの指針を撤回させたが、最後に笑ったのはクリスマスを抹殺しようとする人々だったようだ。実際、反クリスマス派が勝利を収めている。今年、米国では国民のイベントとしてのクリスマスが死に絶えてしまった。

米国民にとって歴史的にクリスマスの中心地となってきたニューヨークの5番街を歩いてみると、それを実感できる。




クリスマスが失われた時代には、生まれたばかりのキリストとサンタクロースは初期キリスト教徒の地下墓地「カタコンベ」に戻ることになる。そこでは誰に対しても(「メリークリスマス」の代わりに)「ハッピーホリデーズ」と言わずに済む。われわれの知っているクリスマスは死に絶え、12月25日は感謝祭の小型版のようになることだろう。

米国でクリスマスを祝うことが、旧ソ連のように告訴に値する犯罪にならない限り、キリスト教徒の家族はクリスマスの朝、教会に行き、自分たちの信仰の始まりを再確認し、一日中家でクリスマスソングを聴きながら過ごすことだろう。

政治的正しさを追求し、全ての宗教や文化に対して不快感を与えない(非難・攻撃されない)ように配慮すること。それ自体を間違っているとは思わない。しかし、その道の先にはクリスマスもない世界だ。

私達はクリスマスを表立って祝わない社会を望むのだろうか。

  *        *       *

私自身はキリスト教徒ではない。だから、特別な思い入れがある訳ではない。クリスマスは「隣村の氏神様のお祭り」に遊びに行くような気分で楽しんでいるにすぎない。しかし、お祭りのない社会はつまらない。

私は、クリスマスの無い社会を望まない。のっぺりとした灰色の社会よりカラフルないろんな宗教・民族のお祭りを行う社会の方が好きだ。

BlogRanking (読む価値のある記事だったらクリックお願いします)

|

« 民主主義は「溝があること」を前提にするが | トップページ | 民主主義のコスト、非民主主義のコスト »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/107287/62939675

この記事へのトラックバック一覧です: クリスマスの無い世界を望むか:

« 民主主義は「溝があること」を前提にするが | トップページ | 民主主義のコスト、非民主主義のコスト »