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2016年1月12日 (火)

国家と個人、個人対個人

国家と個人、個人対個人

しんぶん赤旗 主張:成人の日 主権者として政治を変えよう
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-01-11/2016011101_05_1.html

このままでは、独裁政治になりかねません。立憲主義を回復することは、平和や民主主義、暮らしのすべてにおいて、国家によって侵害され、傷つけられている「個人の尊厳」を回復し、守り、大切にする社会をつくることです。一人ひとりが人間として尊重される政治への可能性がひらかれます。

科学的社会主義の先駆者カール・マルクスは、人間解放のもっとも中心的な課題として、「すべての個人の自由で全面的な発展」を位置づけました。日本共産党は、近代民主主義の中核的な概念である「個人の尊厳」「個人の尊重」を受けつぎ、豊かに発展させることをめざしています。

国家対個人、この対立で個人を尊重せよとの主張に反対する人は少ないだろう。では、個人対個人になった時、どうなるだろうか?

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国家は多数の個人の集合体だ。ある個人の権利や希望が別の個人の希望や人権と衝突することは当然にある。国家や体制が弱体化すれば、個人対個人の衝突を国家が防いだり仲裁したりすることが出来なくなる。結果、出来るのは弱肉強食の社会だ。

国家はある程度は強くなくては、「個人の尊厳」「個人の尊重」を実現することは出来ない。

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ところで、聖書のような変えられないものは、解釈を変えて現実に対処することになる。日本国憲法の解釈改憲が嫌なら、改憲を現実的なものとしなければならない。

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