今となっては
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神戸新聞:ヘイト抑止条例/憎悪の芽を摘むモデルに
http://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201601/0008744174.shtml
行き過ぎた規制は表現の自由を侵害する恐れがある。条例では、不当に侵害しないよう留意することも定めた。バランスを考慮しながら対策に生かすことが求められる。
憎しみは、より少数者、弱者へと向かう傾向がある。規制だけに頼っていては、憎悪や差別の芽を摘むことはできない。教育や交流活動などを通じて、異なる文化や生活習慣を理解する心を育むことが必要だ。
お互いにニュートラルというか知識や経験のない状態からであれば、「教育や交流活動などを通じて、異なる文化や生活習慣を理解する」というのも有功かもしれない。しかし、今の状況で有効だろうか?
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韓国や北朝鮮の側は日本を非難し、日本も反論や非難をする。この状況下では「相手を理解する」ことが相手を嫌うことになり兼ねない。
それに、習慣や風俗には「皮膚感覚でNG」なものもある。例えば、ある文化にとっては、食欲をそそる好ましい香りが他の文化では吐き気をもよおす匂いだったりする。こういった場合、隣同士に住んだだけで相手を迷惑な存在として嫌うようになる。
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ヘイトスピーチが好ましくないことには同意するけれども、言葉狩りのようなことをしても効果は薄いし、単純な「知ろう・理解しよう」で解決できる状況でもない。
今となっては、嫌い合うのは、どうしようもないのではないか、私には解決方法が見えない。事件や事故が起こらなければ良いのだけれど。
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