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2016年1月 9日 (土)

「非自民」でしかない人々

「非自民」でしかない人々

日本経済新聞 社説:野党の立ち位置がわからない
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO95950810Z00C16A1EA1000/

国会論戦が始まったが、あまり聞き応えがあるとは言い難い。野党第1党の民主党の立ち位置がよくわからないからだ。安倍政権の個別の政策への批判は声高だが、自分たちならばどうするという説明がもっと必要ではないか。

野党は衆参両院本会議や衆院予算委員会で、憲法の規定に基づいて要求した昨年秋の臨時国会の召集が見送られたことを違憲と攻撃した。通常国会が始まってなお同じ批判を繰り返しても、政治的にあまり効果があるとは思えない。

こんな画期的な提案をする機会が封じられていたのか、と思わせる主張がなければ、有権者も召集見送りを大ごととは思うまい。

人々がまとまるには「共感できる何か」が必要だ。共産党や社民党のような政党なら別だろうが、民主党のような寄り合い所帯だと、その「何か」が「非自民」でしかないのだろう。ようするに、何かを主張するとそれに反発する人々を内部に抱えているから、まとまるために主張を控える。とすると出来ることは与党への非難しか残らない。

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当人としては「非自民の政権を作る為に、自分の主張を封印するという自己犠牲の精神を発揮している」のだろうけれど。

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民主党に投票するということ、それは「自民党でなければ何でも良い」という事になってしまうと言うことだ。

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