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2016年3月15日 (火)

象徴と実体

象徴と実体

千葉日報 論説:http://www.chibanippo.co.jp/serial/310462
http://www.chibanippo.co.jp/serial/310462

欧米諸国に肩を並べる近代国家へと生まれ変わったが、その後は諸外国との戦争が続いた。太平洋戦争では、国民という立場に身を置いてわずか七十数年でありながら、「お国のため」と玉砕攻撃を選択するまで、一部国民の意識はエスカレート。

掲揚、斉唱という行為は、決して戦争を賛美するものではないが、戦時下において挙国一致のための装置とされたとの見方もある。そうした観点から見解を持ち出されれば、否定するものであっても耳を傾けざるを得ないのではないか。

日の丸や君が代をダメだと言う方々の議論のひとつとして「戦時下において挙国一致のための装置とされた」、ようするに戦時中の日本が、日の丸を掲げ君が代を歌っていたから日の丸や君が代が悪いんじゃないけど、当時の日本が悪いからダメだ、と言うもの。

戦前戦中の日本の評価はともかくとして、現在の日本の国旗国歌は日の丸であり君が代だ。その象徴を否定することは、現在の日本を否定することにつながる。

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現在の日本は、過去の日本があってこそ。全ての行為が正しいなんてことはないけれども、過去のプラスもマイナスも日章旗と共にあった。であるならば、国旗掲揚の時を、個々の人間が、そういったものを思い起こす時としてはどうだろうか。

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象徴を否定することは実体を否定することにつながる。

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