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2016年4月 1日 (金)

児童虐待、どちらにブレる

児童虐待、どちらにブレる

河北新報 社説:児童虐待/踏み込んだ対応を早急に
http://www.kahoku.co.jp/editorial/20160331_01.html

両親から継続的に虐待を受け、児相に保護を求めていた相模原市の中学生の自殺が先日、明るみに出た。生徒は「家に帰るのが怖い」などと何度もSOSを出していたが、児相は保護を見送り、生徒が死を選ぶ事態に至った。

親の同意がなくても強制的に保護できる措置は運用の難しさが指摘されるが、命を守れなかった結果に立てば、対応の甘さは否めない。

虐待されている(かも知れない)子供を「親の同意がなくても強制的に保護できる」ということは、国家に子供を家庭から取り上げる権利があるということで、簡単な話ではない。暴走したら国家が全ての子供を管理するSF小説のような社会になりかねないし、そもそも親から子供を取り上げることで起きる感情の大きさは半端ではない。

一方で、見逃しは子供の死をまねきかねない。

だから、正確に必要なだけやれ、と言うのは簡単だけれど、不可能だ。

仮に、親から強制的に取り上げることで助かる命があったとして、それが「取り上げたら助かる命」と判るのは、失われた後のことだ。何故なら、強制的に取り上げた場合、親の元においておいたら本当に死んだかどうか知る方法がないからだ。

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強制的に取り上げたら、危険から遠ざけるので、本当に危険であったどうか判らない。今回のように、取り上げず死亡して始めて本当に危険であったことが証明される。

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死亡した事例だけを見て現場を非難するのは簡単だ。

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こういったことは完全に正確になんて出来ない。だから、どちらかに行き過ぎることを容認するしかない。

取り上げないで死亡事例が起きることを容認するか。正常な家庭から取り上げる事例が起きることを容認するか。

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刑事事件の裁判では、真犯人を見逃す事が起きるとしても、無罪の人間を有罪にしないようにしている。同じように、私達は現場の人々に「たとえ◯◯であったとしても」と言わなければならない。でなければ現場が可哀想だ。失敗した時だけ非難されることになるのだから。

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