« 気に入らない交渉相手だったら | トップページ | アメリカの移民問題に学ぶべきことは »

2016年7月13日 (水)

戦後の言論人の限界

戦後の言論人の限界

YAHOOニュース:「改憲勢力3分の2」と並んで永六輔さん他界の報道が流れたことの意味
http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20160712-00059909/

奇しくも昨日は、参院選の結果、改憲勢力が国会発議に必要な3分の2を占めたという報道が一斉になされた、戦後のターニングポイントといってもよい日だった。それと永さんのような反戦を唱えてきた人が亡くなっていくこととはおおいに関わりがあることは言うまでもない。

戦後の言論人やジャーナリストの出発点は、二度と悲惨な戦争を体験したくないということだった。何があっても戦争だけは嫌だ、というのが共通の認識だった。しかし、その意識は戦後70年余を経て薄れ、この1~2年、安倍政権によって「戦争のできる国」へと日本は大きく舵を切りつつある。武器輸出がいつのまにか解禁されたことにも永さんは憤っていた。

永六輔さんのご冥福をお祈りいたします。

  *        *       *

戦後の反戦運動、あるいは言論人やジャーナリストが「戦争だけは嫌だ」と思っていたのは本当でしょう。でも、その為の方法(政策)をもっていませんでした。戦争反対と叫ぶことは出来てもイラクのフセインを止めることは出来なかった(思いつきもしなかった?)し、中国の暴力的な海洋進出や北朝鮮の拉致や核実験やミサイル発射実験も止めることは出来なかった。出来たのは日本政府を批判することだけ。

  *        *       *

言論人やジャーナリストは政策の実行者ではないけれど、提案をすることは出来る。日本の戦後の言論人やジャーナリストは民衆を説得できる政策を提案できなかった。

その結果が、現在の状況。

  *        *       *

「何があっても戦争だけは嫌だ、というのが共通の認識だった。しかし、その意識は戦後70年余を経て薄れ、この1~2年、安倍政権によって『戦争のできる国』へと日本は大きく舵を切りつつある」

「戦争が出来る国」になりつつあるのは、意識が薄れたからだと言う考え方。別な言葉でいうと、気持ちや意識があれば何でも出来るという考え方です。私は、こういう考え方が嫌いです。学校の生成機が悪いのは「やる気がないから」、営業成績が悪いのは「商品に対する愛が足りないから」、会社にとって重要な製品の開発がうまくいかないのは「愛社精神がないから」、こういった精神論が大嫌いです。

  *        *       *

具体論がないことや政策が悪いのに、理由を精神や意識を原因にすることは、攻める側(権力者)にとって安易で、反論できない側(庶民・弱者)にとって苦しいものです(だって本当の理由じゃないじゃん)。

  *        *       *

現実を変えるのに強い想い(意識)は必要かもしれませんが、それだけではダメなのです。強い想いだけで現実が変わるのはアニメやドラマの中だけ、現実世界では政策や具体論が必要なのです。

BlogRanking (読む価値のある記事だったらクリックお願いします)

|

« 気に入らない交渉相手だったら | トップページ | アメリカの移民問題に学ぶべきことは »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/107287/63908528

この記事へのトラックバック一覧です: 戦後の言論人の限界:

« 気に入らない交渉相手だったら | トップページ | アメリカの移民問題に学ぶべきことは »