« これもデモ | トップページ | 戦争の悲惨さを訴えるだけでは平和はこない »

2016年8月 2日 (火)

リテラ編集部に知的障害者はいるのだろうか

リテラ編集部に知的障害者はいるのだろうか

リテラ:障がい者抹殺思想は相模原事件の容疑者だけじゃない! 石原慎太郎も「安楽死」発言、ネットでは「障がい者不要論」が跋扈
http://lite-ra.com/2016/07/post-2449_3.html

しかし、現実には、前述したように、今回のような事件が起きても、容疑者と同じ「障がい者は生きていても意味がない」「障がい者は迷惑だ」「障がい者は税金がかかる」といった意見が平気で語られている。この国はすでに「弱い子は産まなくて良い、強い子だけをどんどん産め」という価値観に支配されているのかもしれない。

リテラ編集部に知的障害者はいるのだろうか、あるいは無能な人間の立場はどんなものなのだろうか。もし、知的障害者はいないのであれば、無能な人間が冷遇されているのであれば、リテラ編集部は「仕事できない人はいらない、出来る人だけ」という価値観に支配されているのかもしれない。その価値観と「障がい者不要論」との距離はどれほどだろうか。

  *        *        *

国家や社会全体と企業やその1部署は違う。しかし、生産(仕事)をしないとお金がなくなる、貧乏になるということでは同じだ。

  *        *        *

お金や結果だけ考えたら出来ない人間は不要だろう。そして、それを一番実感しているのはエリートや出来る人間ではなく、不要とされた側の人間(出来ないとされた人間)だ。リストラとまでは言わないまでも給与や賞与での差や職場のそういった空気をシビアに感じるのは負けた側の人間で、同時に、それが正しいと納得させられているのも負けた側の人間だ。

そして、世の中には強者や勝者よりも弱者や敗者の方が多い。ネットの雰囲気が弱者に厳しいのは弱者の感じている社会の空気が反映しているからだ。

  *        *        *

良い本、良い雑誌、良い記事を書くために出来る人間を揃えることは正しい。その結果、出来ない人間、邪魔をしてしまう人間を排除することになるけれど。

なにより、出来る仲間と一緒の仕事は楽しい。

しかし、その価値観と「障がい者不要論」の距離は遠くない。

BlogRanking (読む価値のある記事だったらクリックお願いします)

|

« これもデモ | トップページ | 戦争の悲惨さを訴えるだけでは平和はこない »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/107287/64000599

この記事へのトラックバック一覧です: リテラ編集部に知的障害者はいるのだろうか:

« これもデモ | トップページ | 戦争の悲惨さを訴えるだけでは平和はこない »