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2016年8月 8日 (月)

「いまの日本社会」

「いまの日本社会」

朝日新聞:「植松容疑者は正気だった」 ダウン症の娘持つ最首さん
http://www.asahi.com/articles/ASJ854DWTJ85ULOB007.html?iref=comtop_8_01

最首さんは植松容疑者が精神異常者でも快楽殺人者でもなく、「正気」だったと考えている。「今の社会にとって、『正しいことをした』と思っているはずです」。植松容疑者は介護を続けてきた遺族に向けて謝罪する一方で、被害者に対する言葉はない。

そして最首さんは、「共感する人も必ずいるでしょう」と言った。確かに事件後、インターネット上には、「正論」「障害者は生きていても誰の得にもならなかった」といった投稿が相次いだ。

いまの日本社会の底には、生産能力のない者を社会の敵と見なす冷め切った風潮がある。この事件はその底流がボコッと表面に現れたもの」。植松容疑者は、人々の深層にある思いに訴えて「英雄」になった、と考える。

朝日新聞には知的障害者がいるのでしょうか、無能な人間の待遇はどうなのでしょうか?などと言ったことは先日の「リテラ編集部に知的障害者はいるのだろうか」で書きましたので繰り返しません。気になったのは「いまの日本社会~」という言葉です。

言葉の定義上は、「いまの日本~」という言葉に昔の日本がどうだったなどと言うことはありません。昔の日本の風潮がどんなであれ、つまり、昔の日本に「生産能力のない者を社会の敵と見なす冷め切った風潮」があろうが無かろうが、「いまの日本~」と言うことができます。

しかし、イメージとしては、「いまの~」と今の日本を悪く言うと、昔は良かったという印象を持ってしまいます。

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いまの日本の社会に「生産能力のない者を社会の敵と見なす冷め切った風潮」があるかどうかは別にして、昔の日本はどうだったのでしょうか。

私は歴史学者でも社会学者でもありませんから、具体的な証拠をもって言うことは出来ません。義務教育エトセトラから得た知識を元に印象を述べることしかできません。

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昔の日本、戦前戦中の日本では知的障害者はどう扱われていたのでしょうか。あるいは明治大正時代は、江戸時代はどうだったのでしょうか。

「穢多非人」の存在や明治大正時代の水平社の活動(部落開放運動の存在)などを考えると、いまより人権に配慮した社会とは思えません。そういった社会で知的障害者は良い待遇を受けたでしょうか。私には、良い待遇を受けたとは思えません。

それに比べたら今の方が良い状況であると言えないでしょうか(改善すべき点が無いなどとは言いません)。

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「いまの日本の~」という言葉で、昔は良かったとか、悪くなっていると思いがちですが、私は、いまの日本が(完璧とは言いませんし思いませんが)昔に比べて悪い社会とは思わないのです。

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コメント

アカヒお得意の「正義の意見」に騙されるところでした。
そうそう、昔はむしろ「働かざるもの食うべからず」でしたが
今は「俺を働かせろ(生きがいのために)」でした。
いわゆる、優しい社会が形成されつつありますね。
問題もありますが、それがすべてじゃない。
この論者はどこに生きている人なんだろう。

ところで、インターネットの意見はひどかった旨が書いてありますが、
まだ2ちゃんねるに張り付いているんでしょうか。

投稿: | 2016年8月 9日 (火) 16時29分

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