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2016年8月31日 (水)

当事者は参加しているのか?

当事者は参加しているのか?

読売新聞:相模原殺傷1か月 命、人権考える動き広がる
http://www.yomiuri.co.jp/local/kanagawa/news/20160826-OYTNT50273.html

19人が死亡、27人が重軽傷を負った相模原市緑区の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」の殺傷事件。26日で発生1か月を迎えたが、犠牲者の死を悼む献花は絶えない。障害者の団体による追悼集会やライブイベントも企画され、事件を機にあらためて、命の大切さや人権を考える動きが広がっている。

知的障害を持つ当事者らが1000人規模で集まり、課題などを話し合う「ピープルファースト大会in横浜」(9月21、22日)では、一部のプログラムを変更。横浜市中区の大さん橋ホールで開く全体会(同21日)で事件概要を報告し、花と折り鶴をささげて犠牲者を追悼する。

追悼すること、人権を考えることに反対なんて出来ない。しかし、一番の当事者である知的障害者は参加しているのだろうか。

引用した記事だけ読むと参加しているように思えるけれど、次に引用する記事を読むと、ちょっと違って思える。

朝日新聞:「話せます」職員の機転で助かった入所者も 相模原殺傷
http://www.asahi.com/articles/ASJ8C2R3TJ8CULOB001.html

相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が死亡した事件で、うち1人の殺人容疑などで送検された元職員の植松聖(さとし)容疑者(26)が、園内で拘束した職員に「この人は話せるか」と尋ねていたことが捜査関係者への取材でわかった。障害が重い人を狙う目的があったとみられ、「話せます」と答えた職員の機転で救われた人が複数いたという。

容疑者は話せないレベルの知的障害者を殺傷したのだ。追悼はともかく、話せない(≒話を理解できない)レベルの知的能力で、「命の大切さや人権を考える」ことが出来るのだろうか。そういった集会や勉強会に参加したとして、話せないレベルの知的障害者が議論できるのだろうか。

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重篤な知的障害者こそが当事者なのに、当事者として参加できない矛盾、もやもやを感じる。

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だれもが知的障害者になる可能性を持っている。具体的には認知症だ。私も60歳が見えてきた。ボケを怖がる歳になった。認知症になって認知症が進んで、言葉を無くして家族も判らなくなってしまうかもしれない。そうなるかもという不安を感じている。そして、そういう状態になったら、楽に死なせて欲しいと思ってしまう部分もある。

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知的障害は誰にとっても他人事ではない。

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