« 節約を否定していては | トップページ | 同性愛嫌悪は矯正の対象たりえるか »

2016年8月26日 (金)

歴史に学ぶ

歴史に学ぶ

日本経済新聞 社説:相模原事件が問いかけるもの
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO06518920W6A820C1EA1000/

なぜ容疑者は障害者への強い差別意識を抱き、それが強い殺意にまで飛躍したのか。同じような悲劇を繰り返さないために、容疑者に対する医学的見地からの調べはもちろん、こうした犯罪を生む土壌が広がっていないかどうか、私たちの足元を見直してみる必要がある。

欧米では近年、自分と異なる民族や宗教、性的少数者などを敵視し、攻撃する「ヘイトクライム(憎悪犯罪)」と呼ばれる犯罪やテロ行為が目立っている。相模原の事件は、障害者を一方的に敵視する姿勢や犯行を予告するゆがんだ自己顕示欲などに、憎悪犯罪と似通ったものを感じさせる。

障害者への偏見はいまに始まった事ではない。自分と異なる民族や宗教、性的少数者への偏見も同様にいまに始まった事ではない。日本で言えば、戦前戦中、明治大正、あるいは江戸時代やそれ以前、障害者や異民族・性的少数者に対する偏見や待遇はどうだったのだろうか。あるいは欧米の近世や中世ではどうだったのだろうか。

   *        *        *

私には、いまほど寛容な時代はないように思える。理想的とは言えないにしても、どの時代よりも寛容で保護されているように思える。

   *        *        *

つまり、近年「ヘイトクライム」が増加しているのであれば、それは「ゆりもどし」なかもしれない。寛容であることは人間にとって無理な事なのかもしれないと言うと言い過ぎであるならば、人間の寛容さには限界があるのではないか。

   *        *        *

人間の本能、人間の性質や限界、こういったものを理解しない政策や思想は失敗する。単純に「悪いから」という理由で抑圧したり排除したりしていては失敗する。

BlogRanking (読む価値のある記事だったらクリックお願いします)

|

« 節約を否定していては | トップページ | 同性愛嫌悪は矯正の対象たりえるか »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/107287/64114668

この記事へのトラックバック一覧です: 歴史に学ぶ:

« 節約を否定していては | トップページ | 同性愛嫌悪は矯正の対象たりえるか »