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2016年8月 3日 (水)

軽度の知的障害の場合は?

軽度の知的障害の場合は?

読売新聞:[大学への道]<3>健常者と格差門戸開放を
http://www.yomiuri.co.jp/kyushu/news/20160802-OYS1T50019.html

障害学生の支援を担当する同大コミュニケーション・バリアフリー支援室によると、障害者の受験生に対する入試改革も、既に学内で整備を進めているという。同支援室は「大学のあり方として、知的障害があると(大学で)学べないというのは違うと思うので、(対応を)考えているところだ」といい、今後、具体的な入試のあり方などについて検討が進められるという。長崎大でも13年に「障がい学生支援室」を設け、障害学生の支援に関する理念や方針を14年12月に定めている。

知的障害者の青年期教育に詳しい全国障害者問題研究会の常任全国委員を務める船橋秀彦さん(61)は「大学や専門学校などに進学する健常者は約7割で、知的障害者と格差がありすぎる。大学は知的障害者に門を開けて、とりあえず進学の『機会的平等』を保障すべきだ」と主張する。

「知的障害があると(大学で)学べないというのは違うと思うので」

いやいやいや、違わないでしょう。大学は知的な活動を行う場所で、大学ごとにレベルの差はあれ水準を越えた者だけを入学させている。物理的な障害(あるいは精神的な障害)に配慮するのは、すべきことだと思うけど知的な障害にまで配慮するべきとは思わない。

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足に障害をかかえていて走れないけれどオリンピックのマラソンに出たいと言っているようなもの。パラリンピックに車椅子のレースがあるように別枠ならば話はわかるけれど。

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知的障害と健常者、制度上は区別しているのだろうけれど、実態としてもそうなのだろうか。障害の程度が極めて軽く健常者として分類されてしまった人間はどうなるだろうか。

知的障害者としての配慮はされず、単なるバカとして扱われるだろう。そして大学に拒否される。それは正しいことなのだろうか。

大学のありようとしても、正しさの追求からも知的障害者への配慮はすべきではない。

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コメント

昨今は、AO入試とか言って、学力の無い者まで大学に入れておいて、就職できないとか、奨学金の返済が出来ないとかが問題だー、と言ってるが、そもそも高等教育を受けるには、受けられるだけの学力(知的能力)がなければならないのは当たり前である。 それは、差別ではないよ。 憲法に教育を受ける権利について何と書いてある?? 能力に応じて教育を受ける権利があるんじゃなかったかね。 

投稿: 北極熊 | 2016年8月 3日 (水) 13時41分

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