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2016年9月30日 (金)

心の自由を認めない政党

心の自由を認めない政党

NHK:自衛自衛隊員らたたえる拍手 「心からの敬意」と首相反論隊員らたたえる拍手 「心からの敬意」と首相反論
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160929/k10010711411000.html

民進党の小川参議院議員会長は、安倍総理大臣が衆議院本会議での所信表明演説で、自衛隊員らをたたえて拍手をしたことに関連し、「私は、さまざまな分野で働き、社会に貢献している方たち全員に敬意を表する気持ちだ。自衛官らだけを特別に取り上げて尊敬の対象とするのは、心の中に国民よりも軍隊優先という考えが潜んでいるからではないか」と指摘しました。

安倍さんの心の中に「軍隊優先」が仮にあったとして、どうだと言うのでしょうか。それが政策や法案になった時に叩けば良く、心の中で何と思っていようとそれは自由なのではないでしょうか。

「心の中に国民よりも軍隊優先という考えが潜んでいるからではないか」

公開の場で心の中を正す行為には不快感を感じます。それが特に多文化共生とか自由などを標榜している政党であれば、なおさらです。

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2016年9月29日 (木)

セールストーク

セールストーク

毎日新聞 社説:首相VS蓮舫氏 論戦にはなっていない
http://mainichi.jp/articles/20160929/ddm/005/070/037000c

蓮舫氏は次のようにただした。

日銀の金融政策は行き詰まっている。地方創生、女性が輝く社会、1億総活躍、未来への投資……と安倍政権のスローガンは変わっても経済の好循環には至っていない。今回の補正予算案は依然として公共事業中心だ−−。いずれも私たちもかねて指摘してきたところだ。

「性別や出自で制限されることのない国」「多様性を認め、経済数値だけでは測れない豊かさをすべての人が感じられる国」といった主張は蓮舫氏らしさを打ち出したものではあるだろう。子供の貧困問題を厳しく追及したのも評価したい。

「性別や出自で制限されることのない国」

私は日本国民の子供として生まれたという出自によって、日本の参政権を得ている。外国人の子供として生まれたなら(それが在日外国人であったとしても)日本の参政権はなかった。

民主国家は出自によって参政権を与えることによって成り立っている。出自によらないで、例えば納税額で参政権を与える国家を民主国家と言えるだろうか。あるいは、出自によらないで(だれの子供であっても、自国の領域外で生まれた子供にも、つまり世界中の誰にでも)参政権を与える国家は存在しない。

「性別や出自で制限されることのない国」とは、世界征服した民主国家、あるいは国民に等しく参政権の無い非民主国家でしかありえない。

  *        *       *

「多様性を認め、経済数値だけでは測れない豊かさをすべての人が感じられる国」

どうやって、実現したと判定するのだろうか。実現までの距離をどうやって計るのだろうか。幸せですか?と世論調査でもするのだろうか。

  *        *       *

お店で売っている「お徳用パック」がお徳用じゃなかったとしても、めくじら立てて怒ることはあまりない。単なる宣伝文句だと思うだけ。

蓮舫さんの言葉も、単なる、実現不可能な宣伝文句であるだけ。あまり怒るべきものでもないのだろう。しかし、社説で褒めているとなると、社説って(新聞の知性・信頼性って)TVCMを見るように読まないといけないものなのかと思ってしまう。

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2016年9月28日 (水)

そこに人がいることを忘れるな

そこに人がいることを忘れるな

中日新聞 社説:辺野古裁判 最高裁は公平な審理を
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2016092802000107.html

天秤(てんびん)があるとする。片方には日米安保条約に基づく国策がある。もう片方には米軍基地による沖縄県民の苦痛がある。普天間飛行場が返還されれば、その分だけ苦痛が減る。だから国策が優先される-。まるで福岡高裁那覇支部の判決は、そんな理屈を使っているかのようだ。

だが、これは国側の言い分そのものである。国策追従の姿勢があらわだ。むしろ辺野古移設に対する県民の民意は、県知事選挙や国政選挙などで明白に「反対」と表れている。苦痛はなお大きい。

そもそも天秤に例えた利益衡量という考え方は、「国民の利益」のためにつくられた法理であって、これを「国の利益」に用いることにも疑問を持つ。

国益・国策と県民の苦痛を天秤にのせる。これは悪いことではないが、両方に人間がいることを忘れそうになる。

県民の苦痛と言うとき、そこに人間がいることを忘れる人間はいないだろう。

では、国益・国策と言うとき、そこにも人間がいることを覚えていられるだろうか。

国益・国策というと抽象的な国家というものを想像してしまうが、国家は人間のあつまりであり、国益が損なわれるという事は国民の(人間の)利益が損なわれるということであり、国策は国民の利益(人間の利益)の為に行われているものだ。

  *       *       *

日米安全保障条約という国策によって護られている人間の利益というものもある。

しかし、国益や国策という言葉と県民という言葉では、人間という存在との距離感かちがう。だから、国益や国策と県民の苦痛を天秤にのせると、片方には抽象的な国家で非人間的なもの、もう片方は生身の人間が乗っているように思えてしまう。けれども現実には、両方とも人間が乗っているのだ。

  *       *       *

比較するなら、ある人間集団全体の利益と部分の利益の対立だ。

  *       *       *

イメージ戦略として国策と県民を比べるのは、有効な方法だけれど、受け手としては注意深くありたい。

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2016年9月27日 (火)

民主社会は民衆が動かすので

民主社会は民衆が動かすので

西日本新聞 論説委員の目:「加藤の乱」で失ったもの
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/editorialist/article/277349

世論に期待されながら党を割る決断ができなかった「加藤の乱」でつまずいた。秘書の不祥事で議員辞職にも追い込まれた。首相に最も遠い存在と感じた小泉氏がその座に就いたのはご承知の通りだ。

政治に「たら」「れば」は禁句である。しかし、加藤氏と山崎氏がリベラル政権をつくっていたら、今の政治にも別の光景が広がっていただろう。加藤の乱は日本政治のつまずきでもあった。

歴史にIfはありませんが、「加藤氏と山崎氏がリベラル政権をつくっていたら」どうなっていただろうか。日本の政治は今と変わっていただろうか。

経済については判らないが、外交、右傾化といったことについては変わらないか、いまよりも激しい右傾化や反中国・反韓国といった状態になっていただろう。何故なら、政治指導者が民衆の感情を無視することは(民主社会では特に)難しいからだ。

  *        *        *

中国には中国の事情があって、中国は海洋進出をしている。暴力的にでも進出するべき動機を彼らは持っている。日本への態度も(偉そうにする態度も)中国国内に理由があり、小泉さんが首相になったから偉そうにした訳でもなければ、加藤さんや山崎さんに(例え首相になったとしても)中国の態度を正す力なんてない。

つまり、「加藤氏と山崎氏がリベラル政権を」作ったとしても、結果として、中国は偉そうにし、暴力的に海洋進出する、尖閣諸島も侵略されるかもしれない。そういった状況で日本の対中感情はどんなものになるだろうか。

小泉さんや安倍さんなら、小泉さんや安倍さんが強気にするから中国が気分を悪くすると言い訳することも出来る。加藤さんや山崎さんだったら、中国に膝を屈し礼をつくしているのに侵略してくるということになる。結果、対中感情は今よりも悪いものになるだろう。

そして、加藤さんや山崎さんの政権は短命に終わり、対中感情の悪化が残ることになる。

  *        *        *

ドイツのメルケル首相は、人道的には正しい難民受け入れを行った。しかし、民族間・宗教間の軋轢を生みだした。ドイツは「右傾化」した。

単純に政治指導者が左翼的な、あるいはリベラルな政策を取れば良いというものではない。

私も中国と喧嘩したい訳でもないし、難民を可哀想だとも思う。しかし、下手な方法で融和しようとしたり助けようとすれば、却って悪い結果になる。

  *        *        *

政治は実用品、実用品は理屈の正しさではなく、結果で評価される。

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2016年9月26日 (月)

「心の中」を処罰する?

「心の中」を処罰する?

中日新聞 社説:新・共謀罪 危うい本質は同じだ
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2016092602000113.html

国家転覆を狙う内乱陰謀罪。外国と通じて武力行使を招く外患誘致陰謀罪。爆弾を仕掛けようと企てた段階で処罰できる爆発物使用共謀罪…。だが、あくまで原則は、法を犯す意思だけでは罪に問わない。それが根本である。

共謀罪は正反対である。相談し、合意した段階で成立する。これを六百以上もの犯罪を対象にするから、まるで原則と例外が逆転する現象が起きる。窃盗や詐欺なども含まれる。社会全体を投網にかけるようなものだ。

行為を罰する原則から、合意という「心の中」を処罰する。それに対する抵抗感は強かった。反権力の結社やデモなどで適用されないか-。人権侵害や市民監視の恐れはないか-。さまざまな反対論が沸き起こり、過去三回、廃案になった経緯がある。

心の中ではなく、共謀という行為を処罰するのではないでしょうか。処罰には、話し合ったりする行為が必要です。つまり、思っただけでは処罰なんてされません。また、思うな、と命令されるわけでもありません。

  *        *       *

「『心の中』を処罰する」

大袈裟な、しかも事実とは違う言葉での非難です。

  *        *       *

特定秘密保護法案が議論されていた時の左側の言葉は、どんなだったでしょうか。事実だったでしょうか。民主主義の破壊だ、自由に映画が取れなくなる。などと言われました。3年たって事実はどうでしょうか。

  *        *       *

こういう言葉の使い方、事実ではない言葉、大袈裟に言うこと。こういうのに気がついてしまうと、その主張そのものが胡散臭く思えてしまいます。

これは右にも左にもあることなのだけれど、マスコミに左側が多いせいか左側の言説に、この種の大袈裟な言葉が多いような気がしています(それで、自分は左が嫌いになったのかも知れません)。

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2016年9月25日 (日)

難民受け入れ

難民受け入れ

日本経済新聞 社説:難民問題への取り組みが問われている
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO07605030V20C16A9PE8000/

シリアなどの紛争地域から逃れた難民や、経済的理由から国境を越えてくる移民に国際社会はどう対処すべきか。各国首脳が集う国連総会を機にニューヨークで開いた国際会議は、問題の根深さを改めて示した。

内戦などが原因の難民や避難民は世界で6500万人にのぼり、難民が滞在する国の負担も増している。支援強化は喫緊の課題だ。



シリア難民の留学生受け入れは前向きな一歩ではあるが、人数が限られる。このまま日本は、お金は出すが難民受け入れに消極的な国という印象を与え続けるのか。それとも、もっと受け入れる方針に転じるのか。早急に議論を深めるべきだろう。

人間は知性や文化でもって人間になる。そして、その文化で社会を形成する。様々な現象、幸福や不幸も文化によって引き起こされる。

いま難民のなっている地域の社会の文化、これを難民を受け入れた社会に持ち込んだらどうなるだろうか。まずは、受け入れ側との文化的衝突が起きるだろう。それは暴力的なものになるかもしれない。

仮に、難民のもたらした文化が定着し支配的な文化になったらどうなるだろうか。それは難民を産み出す文化(産み出した文化)だ。移民先の場所から再び難民が出るようになるだろう。

  *        *        *

難民を受け入れるなら、難民の持っている文化(宗教や風俗)を捨てさせねばならない。そして受け入れ側の文化に同化させなければならない。

日本が難民を受け入れるなら、日本の文化に同化することを求めるべきだ。それが難民にとって難しいものであったとしても。

それが出来ないのであれば、お金だけして難民受け入れに消極的な国という印象をもたれる方が、よっぽどマシだ。

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2016年9月24日 (土)

だから?

だから?

しんぶん赤旗:きょうの潮流(2016年9月23日(金))
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-09-23/2016092301_06_0.html

▼徐さんはその後、三菱重工長崎造船所に送られ、作業中に原爆に遭います。彼は韓国・朝鮮人被爆者として最初に証言活動を始め、72歳で亡くなるまで叫び続けました。青春をかえせ、健康をかえせ、差別をなくせ―

「青春をかえせ、健康をかえせ、差別をなくせ―」

なんか、この言葉に違和感を覚えるんだよね。

「差別をなくせ―」は、まあ良いけれど、「青春をかえせ、健康をかえせ」は、その時代時代の個性というか特徴があって、その時代時代に苦しんだ人がいるだろう(不幸な人が一人もいない時代があったら教えてもらいたい)。

縄文・弥生の時代から江戸や明治、現代にいたるまで、不幸な、不運な立場になった人間のいない時代なんてない。

  *        *        *

いま、ひきこもりやニートをしている人間が、仮に違う時代の違う環境に生まれたら、例えば江戸時代の農村とかに生まれていたら、引きこもっていられなくて、ちがう人生を送っていたんじゃないだろうか。

就職氷河期に卒業し就職出来なかった人々が違う時代、例えば高度成長期に生まれていたらどうなっただろうか。

時として、災害が起きる。何十年に一度の災害もある。そんな災害にあってしまった人々、こういった人々も、ちょっと違う時代に生まれたら災害に合わなかったにちがいない。

時代時代に、特徴や個性があり幸福も不幸もある。そう思っていると、戦前戦中に青春を過ごした方が「青春をかえせ、健康をかえせ」と叫んでいるのも理解できないこともないけど、同じように叫びたい方々が時代時代にいるのだろうな、と思ってしまう。

  *        *        *

彼らは、私が生きた時代は特別だ、と思っているのだろうか。

  *        *        *

誰かが「青春をかえせ、健康をかえせ、差別をなくせ―」と叫ぶことに反対なんてしない。表現の自由というものがあるから。しかし、だから?と思ってしまうことも止められない。

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2016年9月23日 (金)

民衆の声を司法に?

民衆の声を司法に?

西日本新聞:春秋(2016年9月22日)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/syunzyu/article/276575

▼県民は、国政、地方選挙のたびに「移設ノー」を突き付けてきた。だが、判決は「普天間飛行場の被害を除去するためには、辺野古に新施設を建設するしかない」と断じた。国の強硬姿勢に司法がお墨付きを与えた形だ。米軍基地の負担にあえぐ県民の声は、司法の耳には届かなかったのか

司法は、立法府が定めた法律に従って(個々の裁判官の良心にのみ従って)判断することが求められていて、世論や民衆の声に左右されてはなりません。

県民の声が直接的に判決に影響を与えたら、それは法律による統治ではなく、感情による統治、あるいは三権分立ではなくなってしまいます。

  *        *        *

民意を司法に届けたいなら、立法府を経由して届けなければなりません。その為には国家レベルで選挙に勝たねばなりません。それが出来ないなら、我慢するか、沖縄は独立するかしかありません。

しかし、沖縄が独立したとしても、その経済力と軍事力でアメリカや中国や日本などの大国と互角に交渉するのは難しいでしょう。

  *        *        *

私は沖縄独立に反対しません。積極的な応援もしませんが。反対しない理由は、独立しても沖縄は幸せにはなれないでしょうが、その結末は日本国民にとって良い教材となるだろうからです。

独立して、アメリカや中国に蹂躙される沖縄は最高の反面教師になるでしょう。

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2016年9月22日 (木)

同調圧力

同調圧力

高知新聞:小社会 「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。…
http://www.kochinews.co.jp/article/49926/

「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇(あ)った者がない。大和魂はそれ天狗(てんぐ)の類(たぐい)か」。夏目漱石の「吾輩は猫である」で主人公の先生が作った短文の一節だ。背景に日露戦争の世相がある。



この大和魂の神話は不幸にして第2次世界大戦でも繰り返された。為政者が精神論を振りかざし、民衆もそれに酔う。集団主義や同調圧力のなせる業だろう。



異常な出来事があっても安易に周囲に同調しない。そのための「個人」に揺るぎはないか。事変85年のきょう、足元を見つめ直してみるのも有意義だろう。

同調圧力は、どちら側にもあるし、どちら側を向いた圧力もある。右翼の集団では右向きの圧力が働き、左翼の集団では左向きもの同調圧力が働く。ゆるぎない「個人」を求めることだって、個人を求めよという同調圧力の結果かもしれない。

  *        *        *

同調圧力に対して異議を唱えるのは「負けている側」だ。勝っている側は違和感や疑問を思えない。いま、右ではなく左の側から同調圧力という言葉が出ているのは、左の側が負けているからだろう。

  *        *        *

同調圧力も人権も自由も重要な概念だけれど、そこに乗る具体的な内容、つまり例えば「同性であるが故に結婚できないのは、人権侵害だ」などの主張される内容こそが欲しい(実現したい)内容であって、同調圧力という言葉も、人権という言葉も、自由という言葉も、その為の道具にすぎない。

こう言うと真面目な人は怒るだろうけれど、これらの言葉は「お徳用パック」のようなセールストークだったり、力の強い立場の人間が押し切るためにも使われる言葉なのだ。

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2016年9月21日 (水)

大丈夫か?アメリカ

大丈夫か?アメリカ

NEWSWEEK:ニューヨーク連続爆発事件、大統領選への影響は?
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2016/09/post-863_2.php

一方、現在は大統領選の最中で、トランプは早速「(テロとの戦いの)事態は益々悪化している」とコメントしています。一方のヒラリーは、このトランプの発言を受けて「危険なレトリック」だと非難、「迅速な展開にはFBIと警察の努力が奏功した」と語っています。

さらに犯人逮捕があった夜には、トランプは「イスラム教徒の一斉取締りを行う」と言明しています。インタビューをしていたFOXニュースの著名な「保守派キャスター」であるビル・オライリーは呆れ顔で「どうやってやるんですか?」と追及したのですが、トランプは「イスラエルがプロだから、イスラエルのノウハウでやる」と息巻いていました。

イスラエルとアメリカは友好国だけれど、イスラエルが(イスラエルの公安、情報部門が)ノウハウを簡単に教えるだろうか。あるいは、そのイスラエルだって国内でのテロを完全に抑え込んでいるわけではない。ノウハウの存在(有効性)すら怪しい

「イスラエルのノウハウでやる」って言っても、実現可能性は低い。

  *        *        *

トランプさん、イスラエルは友邦だけど他国だよ。ビジネスに例えるなら、親密な取引相手であっても「他社」だよ。「他社」がノウハウを簡単に教えてくれると思うかい?

  *        *        *

しかし、「イスラム教徒の一斉取締りを行う」のは派手で、しかも、民衆の本能的な安全への欲望を満足させる。口先だけで良いなら良い答えだ。

  *        *        *

トランプさんって、勢い良いし民衆の望んでいることを言うことも出来る。だから扇動家としては優秀だ。しかし、政策に実現性がなくては、どうにもならない。そんな人間が2大政党の片方の大統領候補で、それなりに当選の可能性があるということは、どういうことだろうか。

アメリカは民衆の教育を間違えたのだろうか。

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2016年9月20日 (火)

受け入れておいて、排除するくらいなら

受け入れておいて、排除するくらいなら

AFP:独ベルリン市議選、与党CDU大敗 「反難民」党が躍進
http://www.afpbb.com/articles/-/3101388

ドイツの首都ベルリン(Berlin)特別市(州と同格)で18日、市議会選挙が行われ、アンゲラ・メルケル(Angela Merkel)首相率いる与党キリスト教民主同盟(CDU)が歴史的な大敗を喫した一方、同首相の難民受け入れ政策に反対する世論の怒りをすくい上げた新興右派政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が躍進した。

受け入れておいて、嫌いになって排除するくらいなら、最初から受け入れない方が良いのではないか。何故なら、どのみち嫌いあうにしても、受け入れておいてから排除するほうが、憎しみが大きくなるだろうからだ。

  *        *        *

嫌いあう結果になるなら、受け入れない方が良い。メルケル首相は、受け入れられるかどうかで判断するべきだった。受け入れるべきであるかどうかではなく、一般民衆が感情的なレベルで、皮膚感覚レベルで受け入れることが出来るかどうかで判断するべきだった。

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それで平和なのだろうか

それで平和なのだろうか

中日新聞 社説:違憲性は拭い去れない 安保法成立1年 
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2016092002000098.html

自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力で阻止する集団的自衛権については、主権国家として有してはいるが、その行使は専守防衛の範囲を超え、許されない、というのが歴代内閣の立場である。

日本に対する武力攻撃は実力で排除しても、日本が攻撃されていなければ、海外で武力を行使することはない。日本国民の血肉と化した専守防衛の平和主義は、戦後日本の「国のかたち」でもある。

友人が強盗に襲われていても自分が被害にあっていなければ助けない。その結果、友人が怪我をしたり殺されてしまっても、それを受け入れるし、復讐もしない。恋人が強姦されそうになっていても、自分が襲われていないので手出しはしない。その結果、強姦されて妊娠しても受け入れる。せいぜいいブツブツ言うぐらいで実力での復讐はしない。

それが平和主義なのだろうか。

それを平和と呼んで良いのだろうか。

そんな人間を友人にしたいだろうか。恋人にしたいだろうか。

  *        *        *

危機においての判断は、特に実力行使を含んだ判断は人生の決断であり、助けに行って自分が殺されてしまう可能性もある。簡単に助ければ良いなどとは言えない。しかし、助けない事が前提で、それを平和と言うのは間違っている、と私は思う。

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2016年9月19日 (月)

ぼっちがお好み?

ぼっちがお好み?

北海道新聞 社説:安保法成立から1年 既成事実化は認められぬ
http://dd.hokkaido-np.co.jp//news/opinion/editorial/2-0083446.html

憲法解釈を覆して集団的自衛権の行使を認め、後方支援の範囲を地球規模に広げたことで、日本は「米国の戦争」にこれまで以上に積極的な軍事貢献を要求されるかもしれない。

その結果、米国の交戦相手は日本を敵とみなし攻撃対象にする。それが安保法制に潜む本質的な危うさである。安保法制はやはり廃止すべきだ。

確かにアメリカの同盟国として攻撃される可能性は高まるだろう。現在だって在日米軍基地があるからゼロじゃないけど、高まることに間違いはない(どの程度かは判らないが)。しかし、集団的自衛権を拒否し、アメリカとの連携を拒否したら「ぼっち」になってしまう。

  *        *        *

友人関係と同じだ。どこかのグループに入れば、その集団が護ってくれるけれど、同時に、その集団の揉め事に付き合わされる。

ぼっちとグループにはいること。どっちが良いだろうか。

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北海道新聞は、ぼっちの方が良いと考えているようだけど、多くの人間はぼっちよりもグループに入ることを選ぶ。その方が、なんとなくだけど安心できるから。

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2016年9月18日 (日)

理想の為に死ね?

理想の為に死ね?

中日新聞 社説:不断の努力かみしめて 今、憲法を考える(読者から)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2016091702000107.html

九条は理想で現状にそぐわないという批判がありますが、東京都昭島市の男性はこう考えます。「理想と現実は絶えず乖離(かいり)する。現実に理想をなじませるのではなく、少しでも理想に現実を近づけるよう努力すべきだ」

他にも「改憲ありきの議論に乗せられるな」「国民の無関心こそなくせ」-。戦後の歴史の岐路かもしれません。不断の努力こそ求められます。読者のみなさんの声を大切にし、改憲論の行方を注視していきます。

軍事に関わることで、一歩間違えたら戦争になり戦死者が出る。それを承知した上で「現実を理想に近づける」と言うのだろうか。それは「理想の為に死ね」と行っているのに等しいのだけれど。

  *        *        *

「理想の為に死ね」と「お国の為に死ね」との間の距離はどれほどだろうか。

  *        *        *

憲法は理想を書くものだろうか。それとも実用的な道具(例えば「国家権力を縛る道具」)だろうか。

理想を書くものであれば、聖典のように扱い、解釈を現実に合わせて変えてゆけば良い。実用的な道具であれば必要に応じて変えてゆけばよい。

  *        *        *

理想を現実に、などと気楽に言っていると、その言葉の為に大勢が苦労し、場合によっては死ぬこともある。理想を現実になどと言っている方々は、お偉いさんの夢の(理想の)為に、組織の末端(下っ端)がどんだけ苦労することになるのか、知っているのだろうか。

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2016年9月17日 (土)

いや、無理だと気づこうよ

いや、無理だと気づこうよ

北海道新聞 社説:蓮舫民進党 対立軸こそ政権への道
http://dd.hokkaido-np.co.jp//news/opinion/editorial/2-0083066.html

民進党はきのう、党の顔となる新代表に蓮舫代表代行を選んだ。



党の針路を定め、与党への対立軸を明確にすることで、有権者に有効な選択肢を示してほしい。



与党が衆参の圧倒的多数を占め、自民党では「安倍一強」が続く中、国政に失われた緊張感を取り戻すには、野党第1党が政権を担いうる姿を示すしかない。

ただ民進党は「政権批判にとどまらない野党」を見せようとするあまり、結果的に与党との違いが見えにくくなる懸念も抱える。

自分の過去の仕事を見直す時がある。すると、たくさんの欠点に気がついてしまう。あるいは他人の仕事を引き継いでみるとおかしな点に気がついてしまう。しかし、その状況下、その仕事をした状況下で、もう一度その仕事をやったとしても、すごく良いものが出来るとは限らない。現実、つまり予算や技術、使える人員が決まっている以上、そんなに変わったものが出来る訳もないのだから。

政策も同じだ。現実、日本をとりまく国際環境や安全保障環境、日本の国民や予算が同じである以上、実行可能な政策も、そんなに変わったものにはならない。

  *        *        *

外野的には、マスコミ的には明確な対立軸を望むだろう。対立軸がありガチンコ対決してくれる方が盛り上がって面白いし、理解も説明も楽だ。

議員数人の野党であれば、日米同盟破棄や日米安保破棄を言うことも出来るし、自衛隊解散を掲げることもできる。しかし、そんな非現実的な主張していては政権はおろか野党第1党も難しいだろう。

現実世界では選択肢は限られ判りやすい対立軸を示すことは難しい。

つまり、「与党への対立軸を明確に」と「政権を担いうる姿」の両立は難しいというとだ。

  *        *        *

民進党は共産党との連携を継続するそうだ。共産党は少数政党で政権獲得の可能性が低いからこそ過激な主張をすることができている。その共産党と連携すると言うことは、明確な対立軸は作りやすいけれど、政権を担いうる姿を示すことは難しいだろう。

旧社会党のように沈んでゆく未来が見える。

  *        *        *

外野やマスコミは民進党に明確な対立軸を求めるだろう。そして、政権担当可能な野党であることも要求するだろう。しかし、それは(悪い意味での)教育ママが子供に矛盾した要求をするようなものだ。

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2016年9月16日 (金)

民主党に足りないもの

民主党に足りないもの

朝日新聞 社説:民進党 蓮舫氏のもとに結束を(2016年9月16日(金)付)
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1

参院選1人区で一定の成果を上げた共産党などとの選挙協力を、どこまで進めるのか。政権選択選挙となる衆院選では協力へのハードルは高くなるが、議論から逃げてはならない。

一足飛びの信頼回復はない。26日召集の臨時国会では一歩一歩、実績を積み上げ、国会に緊張感を取り戻してほしい。

代表選では、蓮舫氏の「二重国籍問題」が指摘された。

蓮舫氏は台湾籍の放棄手続きをとり、謝罪したが、説明が変転したことで批判を受けた。こうした時にどう対処し、国民の理解を得るのかも党全体の課題である。

いや、こういう問題が起きないようにできない事が、つまり実務者能力の不足こそが、課題でしょう。

  *       *      *

民主党が、蓮舫さんを参議院選挙の候補者として公認するとき、閣僚として選ぶとき、党役員として選ぶとき、調査や確認は行われなかったのだろうか。

自民党では、「身体検査」が行われるそうだ。金銭や女性問題などのスキャンダルを抱えていないか調査する。その上で人事を決める。同じような事を民主党は行わないのだろうか。

例えば、閣僚に任命しようとする時に発見したら、台湾籍の放棄の手続きを(こっそり)やってしまうことだって可能だったはずだ。そうすれば、こんな問題は起きなかった。

  *       *      *

民主党に、説明能力(スキャンダル対応能力)が足りないことに同意しますが、それ以上に問題なのは実務者能力の不足ではないでしょうか(そして、実務者能力って簡単には身につかないのですよね)。

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2016年9月15日 (木)

共謀罪より危険な

共謀罪より危険な

中日新聞 社説:相模原事件 警察の対応を検証せよ
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2016091502000116.html

本来、犯罪抑止の責務は、医療や福祉ではなく、一義的には警察が担っている。とすれば、警察は謙虚に自らの失敗を認め、反省点を洗い出すのが筋ではないか。

容疑者は勤務先だった障害者支援施設を名指しして、殺害予告の手紙を衆院議長あてに出した。警察から異常事態を知らされ、施設職員らはおびえたに違いない。

警察の指導を受けて、施設は夜間や休日の警備体制を強化し、十六台の監視カメラを設置した。通常より多くの予算や人手をあてがう必要があったはずである。

これらは脅迫罪や業務妨害罪に当たる可能性はなかったのか。警察が速やかに捜査に着手していれば、悲劇を防げたのではないか。大方の市民感情だろう。

ネットに溢れる罵詈雑言をみると、市民感情に「キチガイコワイ」や「障害者不要」が一定程度あることはまちがいない。市民感情に従って行動するのは危険な側面もある。

  *        *       *

今回の事件、犯人は施設そのものではなくて、衆院議長に対して犯罪予告をしている。そのため脅迫罪は成立しない。

  *        *       *

AさんがBさんに話した内容がCさんにとって怖いことだったとする。それだけでAさんを犯罪者として良いのだろうか。

中日新聞も批判している「共謀罪」では、AさんとBさんが犯罪を実行しようと話し合うことを罪としている。この相模原事件では、手紙を書いて渡しただけ。話し合いすらしていない。それで犯罪者として拘束できるようにしたら、共謀罪よりも危険な法律にならないだろうか。

  *        *       *

警察にかぎらず行政の対応を検証することは、常に必要なことであるけれど、今回の場合、警察が実行前に容疑者を拘束することは難しかった。そして、事前に拘束できるような法制度にするのは、これまでサヨクが危険だと批判してきたことそのものだ。

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2016年9月14日 (水)

話し合うつもりが無いのは沖縄ではないか?

話し合うつもりが無いのは沖縄ではないか?

日本経済新聞:自衛隊ヘリの重機運搬 沖縄知事「信頼関係損なう」
http://www.nikkei.com/article/DGXLASJC13H3U_T10C16A9ACYZ00/

沖縄県の翁長雄志知事は13日、米軍北部訓練場(同県東村、国頭村)のヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)の移設工事で、防衛省沖縄防衛局が陸上自衛隊の大型輸送ヘリを使って重機を運搬したことを批判した。翁長氏は「事前に十分な説明がないまま強行した政府の姿勢は信頼関係を大きく損ねる。容認できない」と述べた。県庁で記者団の質問に答えた。

沖縄の状況には同情もするけれど、話し合うつもりがないのは日本政府というよりも沖縄県ではないのだろうか。自分の目には、そのように見える。

  *        *        *

沖縄は独立した方が良い。そして、対等な立場で交渉し、米国や日本と安全保障条約を結べば良い。つまり、中国による侵略と米軍基地のどちらかを取るのかを真剣に考えろと言うことだ。

そして、その判断には沖縄の人々の命と人生がかかっている。そこで失敗したら、沖縄は再び戦火にまみれることになる。そういった真剣さが翁長雄志知事にはない。日本政府になら何を言っても、何をやっても命にはかかわらない。そのため、好き勝手に暴れている。

  *        *        *

沖縄の人々は日本でありたいのだろうか。日本でありたいのであれば、負担をお願いしたい。中国に侵略されやすい場所を日本は護らなければならなくなるのだから。

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2016年9月13日 (火)

民進党代表選挙してるのに支持率低下

民進党代表選挙してるのに支持率低下

NHK:NHK世論調査 各党の支持率
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160912/k10010682351000.html

NHKの世論調査によりますと、各党の支持率は、自民党が40.2%、民進党が8.3%、公明党が4.3%、共産党が2.5%、日本維新の会が1.9%、社民党が0.4%、日本のこころを大切にする党が0.2%、「特に支持している政党はない」が36%でした。

引用元の画像には前回の調査からの変化があります。自民党は1.7%の上昇、民進党は0.7%の減少です。

民進党は代表選挙を行っています。マスコミの露出も(多少は)増えて、支持率が上がっても良いようなものなのに、なぜだか下がっています。

蓮舫さんの国籍問題が原因でしょうか。

  *        *       *

しかし、代表選挙では蓮舫さんが勝ちそうな情勢です。このままだと民進党は、旧社会党のように、国民の多数から見放されて、衰退するでしょう。

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2016年9月12日 (月)

民主政治と国籍

民主政治と国籍

Newsweek:「国籍唯一の原則」は現実的か?――蓮舫氏の「二重国籍」問題をめぐって
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/09/post-5804.php

蓮舫氏に対し、「二重国籍」の可能性を問題視するような指摘について、筆者は大きな疑問をいだく立場である。日本国籍を持っている以上そもそも何の違法性もなく、差別的で理不尽な追及だ。「単一民族神話」を前提とする偏狭な国家観、国籍観の表れだろう。

民主国家において大事なのは何だろうか。言論の自由なども大事だけれど、最も大事なのは「誰が政治的権利を持っているか」だ。誰に発言権があり、誰には無いのか。誰が投票でき、誰が投票できないか。つまり、国籍だ。

そして、この権利は差別的だ。この権利は、生まれで決まる。誰の子供として生まれたか、どこで生まれたかによって参政権があったり無かったりする。生まれで決まる政治的権利、これを差別と言わずして何を差別と言おうか。

また、「誰か国民か(政治的権利があるか)」は非民主的に決定されている。なぜなら国民が存在する前に、国民とは誰かを決めたのだから民主的に決める事は不可能だ。

  *       *      *

民主政治は差別に基づいて成り立っているが、これは日本だけの事でも、いまに始まった事でもない。世界中の民主国家で国籍は生まれに基づいて決まっているし、古代ギリシャの民主政治でもおなじだ。

差別なく、あらゆる人間に政治的権利を認めた国家は、いままで存在しなかったし、これからも存在しないだろう。

  *       *      *

蓮舫さんが一般市民であれば、あるいは政治家ではなく芸能人であれば、ここまでの騒ぎにならなかっただろう、また騒ぎになったら差別的であると言っても良いかもしれない。

しかし、蓮舫さんは有力政治家であり、場合によっては首相になる可能性だってある立場にある。そんな人間の国籍の確認を、つまり政治参加の正当性の確認を求めるのは当然ではないだろうか。

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2016年9月11日 (日)

援助が成功したからこそテロになる場合も

援助が成功したからこそテロになる場合も

中日新聞 社説:「不条理な死」をなくす 週のはじめに考える
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2016091102000106.html

二〇〇一年の米中枢同時テロから十一日でまる十五年。約三千人が死亡し、日本人も二十四人が犠牲になりました。今も世界はテロにおびえています。



加えて、職があっても一日三・一ドル未満で暮らす若者、いわゆるワーキングプアは世界で一億五千六百万人に達します。

圧政や腐敗と並んで、貧困は過激主義の栄養源です。社会の不公正を正し、民生を向上させる必要があります。

それは息の長い取り組みですが、日本が貢献できる分野です。「不条理な死」がなくなるように、国際社会と協調していかなくてはなりません。

貧困がテロの要因になることに異議はありませんが、テロ実行犯に富裕層の者がいたり高学歴の者が多いことを考えると、状況はもう少し複雑なのではないでしょうか。

  *        *        *

ほんとうに貧困で教育もなければ、富裕層の生活、外国の庶民の生活、自由や人権も知りません。そんな人間が、不平不満をもったとしても、それは外国にではなく本人の周囲に対してですし、テロを実行する為の資金も知識も持たないでしょう。つまり、不満を爆発させたとしても、それはローカルな犯罪であって、テロにはなりません。

援助が成功して、生活に多少の余裕が出来て、教育も受けられて自由や人権を知る。こういった時期がテロを誘発すると思います。

生活に余裕があれば、海外に出かけたりテロの為の武器や爆弾を買うことができます。教育を受けて自由や人権を知り、他国との格差を知るようになると矛先は他国に向きます。

  *        *        *

「貧困は過激主義の栄養源です。社会の不公正を正し、民生を向上させる必要があります」

そのことに反対はありませんが、その過程で危険な時期を通過することを意識して置かなければなりません。そして、効果のある援助は、援助先の社会を変革し、変革は(「昔の立場の方が良かった」などの)不満を持つ人間も産み出すことも意識しておくべきです。

  *        *        *

ピュアな心を失いたくはないですが、汚い現実にも対応できなければなりません。

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2016年9月10日 (土)

相手も人間

相手も人間

しんぶん赤旗:主張 この秋のたたかい 暴走ストップ 共同さらに広げ
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-09-09/2016090901_05_1.html

海外に派遣する自衛隊に新任務を与える訓練の開始など戦争法の具体化、沖縄での米軍新基地建設のごり押し、「共謀罪」の再燃、医療・介護保険改悪の提案など、安倍晋三政権が参院選後、民意無視の暴走を加速しています。今月召集予定の臨時国会では、環太平洋連携協定(TPP)の承認案や労働法制改悪などを推し進めようとしています。参院選では争点をごまかしておいて、選挙が終われば悪政を国民に押し付ける―。こんな「だまし討ち」は許されません。暴走ストップへ国民的たたかいをこの秋大きく発展させるときです。

しんぶん赤旗に限らないけれど、戦う相手も人間だということを忘れていないか?と聞きたくなる場合がある。例えば、しんぶん赤旗が戦っている相手である安倍さんや自民党のみなさんが人間であることには疑いようがない。しかも、同じ日本国民だ。だけど、しんぶん赤旗の記事を読んでいると、特に「たたかい」をよびかける記事をよんでいると、しんぶん赤旗は安倍さんを悪魔か何かのように思っているのではないか?と感じてしまうときがある。

  *        *        *

人間には「都合」がある。戦いでは、相手の都合をより正しくより深く読んだ側が勝つ。しかし、相手を理解不能な悪魔か何かのように思ってしまうと、相手の都合を読むなんてことは出来ない。

  *        *        *

たたかっている相手、敵もまた人間であることを忘れないようにしたいものだ。非難し、傷つける場合もあるだろうけれど、それでも人間であることを忘れないようにしたい。

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2016年9月 9日 (金)

戦前と戦後の類似点

戦前と戦後の類似点

中日新聞 社説:戦後の「公共」守らねば 今、憲法を考える(10)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2016090902000121.html

歴史の読み方として、一九三五年を分岐点と考えてみる。天皇機関説事件があった年である。天皇を統治機関の一つで、最高機関とする憲法学者美濃部達吉の学説が突如として猛攻撃された。

なぜか。合理的すぎる、無機質すぎる-。現人神である天皇こそが統治の主としないと、お国のために命を捧(ささ)げられない。「天皇陛下万歳」と死んでいけない。機関説の排除とは、戦争を乗り切るためだったのだろう。



軍国主義につながる要素を徹底的に排除した。そうして平和な社会の実現に向かったのは必然である。自由な「公共」をつくった。とりわけ「表現の自由」の力で多彩な文化や芸術、言論などを牽引(けんいん)し、豊かで生き生きとした社会を築いた。平和主義が自由を下支えしたのだ。九条の存在が軍拡路線を阻んだのも事実である。

戦前の軍国主義と戦後の平和主義。どちらも極端で現実を見ていない。思想優先。

例えば、朝日新聞は戦前と戦後で180度方向を変えたけれど、思想優先で現実を見ていないという意味では変わっていない。

  *        *       *

原理、思想、理想、こういったもの無しに人間は生きられない。しかし、現実を軽視していては、不幸な結果になることも間違いない。

  *        *       *

自分はアンチ左翼ではあるけれど、その主張に見るべきところがないとは思わない。ただ、手法がまずかったり、極端だったりする。例えば、寛容も多文化も実現できればすばらしいけれど、下手にやろうとすると国内で民族紛争を起こしてしまう。隣人同士が憎しみあい殺しあう社会を産み出してしまう(いま、ヨーロッパで起きつつあることだ)。

  *        *       *

左翼には頭が良く、筆が立つ人々が多い。こういった方々には現実を見据えた活動をしてもらいたいものだ。

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2016年9月 8日 (木)

お金を出せば良いですよ

お金を出せば良いですよ

産経新聞:【主張】川内原発 知事は対話をなぜ避ける
http://www.iza.ne.jp/kiji/column/news/160906/clm16090605020002-n1.html

九州電力は、鹿児島県の三反園訓知事から出されていた同社の川内原子力発電所1、2号機(同県薩摩川内市)の即時停止要請について、応じられない旨を回答した。



川内原発の停止要求に妥当性は見いだし難い。熊本地震を受けて検討した原子力規制委員会も、必要はないとの見解だ。

川内原発の2基を止めると、代替火力発電の燃料代として1カ月で100億円の出費が生じる。

正当な根拠も理由もないまま止めさせた場合、この費用は誰が負担すべきなのか。県は知りません、では通らない。

つまり県は毎月100億円を九州電力に支払えば良いんですよ。お金より「いのち」が大事なら出せるんじゃないですか?

 *       *      *

法的権限のない要請に応じて費用を発生させたら、会社は株主訴訟を起こされ損害賠償を求められる可能性があります。止めることの費用を誰かが負担すれば、その可能性はなくなる。

 *       *      *

三反園訓知事は費用負担を考えないのでしょうか。費用負担を考えない指導者(≒現実を見れない)は部下を殺します。私は、そういう指導者の下で働きたいとは思いません。

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2016年9月 7日 (水)

共謀罪

共謀罪

河北新報 社説:「共謀罪」再提出へ/監視社会につながる悪法だ
http://www.kahoku.co.jp/editorial/20160906_01.html

実行行為が何もないまま、「共謀」や「準備」だけで膨大な数の犯罪を摘発できるようになってしまう。その行き着く先は、人権やプライバシーを顧みない暗い監視社会ではないのか。

共謀罪はこれまで、国会で議論されるたびに重大な問題点を指摘されてきた。さまざまな論点を抱えているが、例えば「居酒屋で同僚と『あの上司を殺そうか』と話しただけで罪になるのか」と批判されたいきさつもある。

そうなったらたまったものでないが、共謀の事実が認められれば犯罪行為とみなされて不思議はない。理屈の上ではそうなる。「ただの冗談。実行するはずがない」と言い訳したところで、犯罪成立には何ら影響を及ぼさないことになりかねない。

警察の捜査はどうあるべきかとか、刑罰の程度はどの程度が適切かという問題はあるけれど、誰を殺そうかと話したりすることが悪いことではないとは言えないと思う。

「『居酒屋で同僚と『あの上司を殺そうか』と話しただけで罪になるのか』と批判されたいきさつもある」

いや、具体的に想像してみよう。自分の同僚が誰かを殺す相談をしていて何も感じないのだろうか。自分であれば不快であり不安なのだけれど。

  *        *        *

監視社会の恐怖や警察の暴走の危険とかが理解できない訳ではない。しかし、特定秘密保護法のときの批判が、あまりにも大袈裟だったことなどを考えると、共謀罪の批判についても、いまいち批判する側の言葉をまともに受け取ることもできないのだ。

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2016年9月 6日 (火)

蓮舫さんの国籍問題と民進党の実務者能力

蓮舫さんの国籍問題と民進党の実務者能力

産経新聞:蓮舫代表代行「心が折れそうになった書き込みもあった」 「二重国籍」問題の会見詳報
http://www.sankei.com/politics/news/160906/plt1609060032-n2.html

「だた今回、一部指摘がありましたので改めて台湾に確認を求めていますが、いまなおまだ確認が取れていないんです。31年前のことで、少し時間がかかるかもしれないと。その確認が取れていないこともありましたが、この確認をとる確認の作業の間にも、父が否定されるような言いぶりがあるのはちょっと受け止めがたいので、今日なんですけど、台湾の代表処に対しまして、台湾籍を放棄する書類をこれ提出しました」

国籍は政党が候補者や人事を決めるときに調査すべき問題です。

  *         *         *

蓮舫さんは何度も選挙に出ていますし、旧民主党政権では閣僚も努めています。そして、お父上が台湾籍であることも知られています。つまり、何度も調査(確認)すべきタイミングはありました。いまさら問題になるような問題ではありません。

  *         *         *

旧民主党、民進党は調査していません。していれば、簡単に「○○年に調査して××という結果だった」と言えているはずです。

  *         *         *

蓮舫さんの資質や忠誠心については判りませんが、民進党の実務者能力、あるいは日本国籍、外国籍についての考え方に問題があると言うことは出来ると思います。

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相対的貧困はなくならない

相対的貧困はなくならない

ニコニコニュース:「生活苦しい奴声上げろ!」貧困バッシングに怒る名古屋の若者たち
http://news.nicovideo.jp/watch/nw2374675?news_ref=top_latest

厚生労働省によると、標準的世帯の可処分所得の半分(約122万円)未満で生活する人の割合を示す「相対的貧困率」(平成25年 国民生活基礎調査)は16.1%となっており、調査を重ねるごとに増加の一途を辿っている。貧困で苦しむ人がいなくなる日は来るのだろうか。

相対的貧困は絶対になくならない。なぜなら「相対的」貧困だからだ。社会全体が豊かになれば貧困ラインも高くなる。どんなに豊かになっても相対的貧困と判定される人がいなくなることはない。

  *        *        *

相対的貧困とは便利な言葉だ。プロ市民にとっては、絶対に無くならない問題、政府がどんなに努力しても無くならないから、いくらでも非難を継続できる。

また、自由を重んじる人々、あるいは事なかれ主義の人々にも便利な言葉だ。相対的貧困のラインは、価可処分所得中央値の半分となっている、つまり経済学的な計算できまる。○○が買えなければ貧困(逆に言うと○○は人生に必須)といった価値観や宗教観に踏み込まないですむ。

  *        *        *

相対的貧困は絶対になくならない。

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2016年9月 5日 (月)

成人年齢より成人宣言を

成人年齢より成人宣言を

東京新聞:民法改正案 来年にも成人「18歳」案 飲酒・喫煙は「20歳」か
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201609/CK2016090202000116.html

政府は、成人年齢を現行の二十歳から十八歳に引き下げる民法改正案を早ければ来年の通常国会に提出する方針を固めた。成立すれば民法が制定された明治時代以来続く「大人」の定義が変わる。十八、十九歳でも親の同意なく契約を結べるようになり、若年層の消費者被害の拡大が懸念される。法務省は一日、法案成立から施行までの周知期間などに関する意見公募を始めた。



現行の民法では、未成年者が親の同意なく商品の購入や金銭貸借などで不当な契約を結んでしまっても、親が条件なく取り消すことができる。成人年齢の引き下げによって十八、十九歳が大人と同じ扱いになると、親による取り消しはできなくなり、悪質業者のターゲットにされる恐れがある。

ある年齢(例えば15歳)を決めて、その年齢を過ぎれば、本人が「成人宣言」を出来るようにするのはどうか。自分が成人であると宣言した人間だけが、結婚や契約や投票が出来る。そんな制度の方が、本人の意志にかかわらず外部から「おまえは成人だ」と言われるより、当人の自覚も出来るのではないか。

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2016年9月 4日 (日)

寛容と多様性を進めて、どんな国になる?

寛容と多様性を進めて、どんな国になる?

毎日新聞 社説:民進党代表選 「中道・穏健」の政策競え
http://mainichi.jp/articles/20160903/ddm/005/070/026000c

安倍晋三政権の政策スタンスは、過去の自民党政権と比べて大幅に右に寄り、復古主義に傾きがちだ。一方、民進党はこのところ安倍政権と対抗するために従来以上に立ち位置を左に取ってきた嫌いがある。

結果として今の日本政治は、かつては自民党が包括してきた「中道=真ん中」に大きな穴が開いている。民進党がそれを埋める役割を果たしていくのは重要だ。

しかし、寛容さや多様性を重んじる「中道・穏健」路線を進めて、どんな国を目指していくのか。まだ3氏ともに生煮えだというほかない。

寛容と多様性を進めて、どんな国になるだろうか。いや、そもそも多様性と寛容、つまり、どんな人間でも認める、どんな人間がいるかも判らない国となるわけで、そんな状態でどんな国になると言う議論が出来るのだろうか。

  *        *        *

実際には、「寛容さや多様性を重んじる」ということは、どんな人間でも認めるということで、個々人間の争いや対立では(政府はごちらの味方もしないので)力の強い者が勝つということだ。そして「寛容さや多様性を重んじる」立場からは外部からの(人間や思想の)侵入にも拒否はできない。つまり、世界で起きている様々な対立が人間と共にやってくるということだ。

「寛容さや多様性を重んじる『中道・穏健』路線を進めて、どんな国を目指していくのか」

結局のところ出来上がるのは、世界の縮図であり海外の闘争や戦乱を日本に持ち込んだような社会だろう。

  *        *        *

「寛容さや多様性を重んじる」というときには、どこからどこまで、という範囲を示さない限りお題目か危険思想なのだ。

穏健な中道であるならば、「寛容さや多様性」は、そこそこの範囲で、つまり制限付でしか実施しないだろう。

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2016年9月 3日 (土)

平和の価値は10万円?

平和の価値は10万円?

東京新聞:安保法は「違憲」 県内弁護士有志ら損賠求め集団提訴へ
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/201609/CK2016090202000171.html

安全保障関連法は違憲で、不安の中で生活を余儀なくされて精神的な苦痛を受けたなどとして、県内の弁護士有志らは、国に対して一人当たり十万円の損害賠償を求める集団訴訟を前橋地裁に起こすことを明らかにした。県内在住者を含め原告となる委任状は八月三十一日時点で計七十三人分集まっており、弁護団は早ければ十二月までに提訴する。



訴状では、集団的自衛権の行使を容認した安保関連法により、憲法が保障する平和的生存権や人格権などが侵害されたなどと訴える方針。広く空襲体験者や教育関係者、若者らに原告になってもらい、それぞれの立場から具体的な権利侵害を明らかにするという。

政治的側面を持った裁判だし要求する損害賠償額と実際の価値が同じとは思いませんが、平和的生存権が10万円ですか。

平和の価値は10万円っと。

  *        *        *

誰かが「10万円あげるから、我慢しなさい」って言ったらどうなるのかしら。

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2016年9月 2日 (金)

ロボット兵器は止められないだろう

ロボット兵器は止められないだろう

毎日新聞:ロボット兵器 戦争をゲーム化させる
http://mainichi.jp/articles/20160831/ddm/005/070/104000c

人の手を介さずに、人工知能(AI)を搭載したロボット兵器が自ら判断し、「敵」を殺傷する。そんな自律型ロボットによる戦争が現実になろうとしている。



人を殺傷しても、現場から遠い操縦室では被害者の苦しみも恐怖も感じない。攻撃の決断まで機械にゆだねることになれば、戦争を現実感のない「ゲーム」にしてしまう。



自制なき技術開発は、従来の戦争の概念を大きく変えることになる。私たちは大きな転換点に立っている。規制の国際的な議論を急がなければならない。

技術は拡散する。短期間ならともかく長期に渡って独占することは出来ない。なぜなら、ある人間集団に出来るものが他の人間集団に出来ない理由はないからだ。しかも、後追い集団にとっては「出来る/作れる」つまり「答えがある」ことが証明されている。

  *        *       *

ロボット兵器を禁止しようとするなら、全ての国が禁止条約に参加しなければ、結局のところ禁止はされないだろう。なぜなら、ロボット兵器を使う相手に、使わないで勝てるとは思えないから。

自分が使わないで、相手が使って、でも、なんとかなる兵器なら禁止もされるだろうが、ロボット兵器はそうではない。

  *        *       *

「戦争を現実感のない『ゲーム』にしてしまう」

人類は、より遠くから敵を攻撃できるように努力してきた。最初は素手、次に棍棒や石、槍、弓矢、銃、大砲、ミサイル。

そして、遠くから攻撃できるようになる度に「現実感」は減っていった。ロボット兵器も、この流れの上にある。

  *        *       *

しかし、戦争をゲームのように感じているのは、兵士や軍人よりも一般人、あるいは政治家やマスコミではないだろうか。

戦争、実際の殺戮行為との距離や現実感でいえば、一般人や政治家やマスコミは軍人よりもはるかに遠くにいる。ある意味、ロボット兵器は軍人を(マスコミを含めての)一般人の立場に近づけるだけだとも言える。

民主国家においては国民(一般人)の代表が戦争を始めるかどうかの決定をする。そして、その決定者は、ロボット兵器があろうがなかろうが、殺戮行為とは遠い距離にある。つまり、「戦争を現実感のない『ゲーム』にしてしまう」という意味では、戦争開始の決断にロボット兵器は影響を与えないだろう。

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2016年9月 1日 (木)

バカをどうするか

バカをどうするか

東洋経済:貧困とセックス、いずれ最底辺は銃を持つ 格差を放置すれば日本も銃社会に突入する
http://toyokeizai.net/articles/-/133608?page=3

鈴木:奨学金ルサンチマンではないけど、「こんなにおカネを払ったのに意味がなかった」という怨嗟感情は、高学歴詐欺プレーヤーに独特のもの。そう考えると、かつて労働力として搾取されてきた貧困層にも、自分の子ども世代に「勉強さえすれば、必ずこの階層から抜け出せる」と言い続けてきた人がいるし、今の国の子どもの貧困対策も、勉学の機会という部分にかなり集中している。

逆に言えば、もともと勉強が苦手な子は貧乏のままってことじゃないですか。労働者の自立には教育が必要と言っていました。それは、いわば知の格差の下層にいる人々の切り捨てですよ。

生物としての人間の特徴は知能で勝負するところだ。走ったり戦う能力は(武器を使わなければ)高くない。ゴリラやライオンに素手で勝てる人間はいない。しかし、武器を(つまり、知能で産み出したものを)使って戦えば勝つことが出来る。

人間は群れを作って生活する動物で、群れの中でも知能を使う。仲間同士での駆け引き、あるいは道具作り。ここでも知能を発揮した人間が群れにより大きく貢献し、よりよい立場を得る。

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人間が進化の過程で肉体的能力ではなく知能で勝負すると決めた時から、知的能力の低い人間の立場は悪くなった、それを「知の格差の下層にいる人々の切り捨て」と言うことが出来るかもしれない。そして、それは今も変わっていない。さまざまな知的能力があるだろうが、知的能力を発揮できない人間の立場は悪くなる。

頭の悪い人間は、いわば「首の短いキリン」なのだ。

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「それは、いわば知の格差の下層にいる人々の切り捨てですよ」

「知」の計り方やどんな種類の「知」が評価されるかといったことは時代とともに変わっているだろうが、知的能力が格差を産んできたこと自体は、人類の歴史の始めから変わっていない。

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社会の安定、個々人の幸福、あるいは福祉の為に知的能力が低い人間をどうするか。あるいは、より多くの人間の知的能力を育むためにはどうしたらよいか。そういった問題は議論の価値があるけれど、知的能力に価値があること、つまり教育に価値があることには議論の余地がない。

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