民衆の声を司法に?
民衆の声を司法に?
西日本新聞:春秋(2016年9月22日)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/syunzyu/article/276575
▼県民は、国政、地方選挙のたびに「移設ノー」を突き付けてきた。だが、判決は「普天間飛行場の被害を除去するためには、辺野古に新施設を建設するしかない」と断じた。国の強硬姿勢に司法がお墨付きを与えた形だ。米軍基地の負担にあえぐ県民の声は、司法の耳には届かなかったのか
司法は、立法府が定めた法律に従って(個々の裁判官の良心にのみ従って)判断することが求められていて、世論や民衆の声に左右されてはなりません。
県民の声が直接的に判決に影響を与えたら、それは法律による統治ではなく、感情による統治、あるいは三権分立ではなくなってしまいます。
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民意を司法に届けたいなら、立法府を経由して届けなければなりません。その為には国家レベルで選挙に勝たねばなりません。それが出来ないなら、我慢するか、沖縄は独立するかしかありません。
しかし、沖縄が独立したとしても、その経済力と軍事力でアメリカや中国や日本などの大国と互角に交渉するのは難しいでしょう。
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私は沖縄独立に反対しません。積極的な応援もしませんが。反対しない理由は、独立しても沖縄は幸せにはなれないでしょうが、その結末は日本国民にとって良い教材となるだろうからです。
独立して、アメリカや中国に蹂躙される沖縄は最高の反面教師になるでしょう。
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