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2016年9月28日 (水)

そこに人がいることを忘れるな

そこに人がいることを忘れるな

中日新聞 社説:辺野古裁判 最高裁は公平な審理を
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2016092802000107.html

天秤(てんびん)があるとする。片方には日米安保条約に基づく国策がある。もう片方には米軍基地による沖縄県民の苦痛がある。普天間飛行場が返還されれば、その分だけ苦痛が減る。だから国策が優先される-。まるで福岡高裁那覇支部の判決は、そんな理屈を使っているかのようだ。

だが、これは国側の言い分そのものである。国策追従の姿勢があらわだ。むしろ辺野古移設に対する県民の民意は、県知事選挙や国政選挙などで明白に「反対」と表れている。苦痛はなお大きい。

そもそも天秤に例えた利益衡量という考え方は、「国民の利益」のためにつくられた法理であって、これを「国の利益」に用いることにも疑問を持つ。

国益・国策と県民の苦痛を天秤にのせる。これは悪いことではないが、両方に人間がいることを忘れそうになる。

県民の苦痛と言うとき、そこに人間がいることを忘れる人間はいないだろう。

では、国益・国策と言うとき、そこにも人間がいることを覚えていられるだろうか。

国益・国策というと抽象的な国家というものを想像してしまうが、国家は人間のあつまりであり、国益が損なわれるという事は国民の(人間の)利益が損なわれるということであり、国策は国民の利益(人間の利益)の為に行われているものだ。

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日米安全保障条約という国策によって護られている人間の利益というものもある。

しかし、国益や国策という言葉と県民という言葉では、人間という存在との距離感かちがう。だから、国益や国策と県民の苦痛を天秤にのせると、片方には抽象的な国家で非人間的なもの、もう片方は生身の人間が乗っているように思えてしまう。けれども現実には、両方とも人間が乗っているのだ。

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比較するなら、ある人間集団全体の利益と部分の利益の対立だ。

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イメージ戦略として国策と県民を比べるのは、有効な方法だけれど、受け手としては注意深くありたい。

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