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2016年10月17日 (月)

建前と本音

建前と本音

西日本新聞 デスク日記:ようやく政治が動いた形なので喜ぶべき話ではある
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/desk/article/282349

7月の相模原殺傷事件で被害に遭った人の親たちは実名公開を拒んだ。障害があっても認め合う社会が程遠い現実の裏返しだ。誰をも特別視しない世の中に向け、今こそ知恵の絞りどころでは? 私は、安易に「医療的ケア児」なんて書いた記事を掲載するつもりはない。

「誰をも特別視しない世の中」

建前としては可能でしょう。制度上の差別をなくす、区別を合理的なものへ改めてゆく、これは出来ることで必要なことです。でも、個々人の心の中では不可能でしょう。ある個人は誰かを特別視します。全員を平等に愛するなんて出来ません。ある個人は、自分の親を、子供を、恋人を特別視します。

親や子供はともかく、恋人は多くの人間の中から特別だと選んだ人間です。では何故、その人間は特別なのか。人種?宗教?経済状況?性格?、あるいは知能?身体の状態?、あるいは遺伝子?家柄?

こういったものが心の中にあることを否定できる人間はいないでしょう。民主的な社会が、その理由を非難することも出来ません。ある人がある人を恋人として選んだ。その選択を(政府が、マスコミが、偉い人が)ダメだと言う社会は自由な社会ではありませんから。

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恋人を選ぶ自由、その延長線上に個人の偏見があり、個人の偏見の集合が社会の偏見となります。

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建前としては「誰をも特別視しない世の中」は良いものです。しかし、実現できないし、実現できてしまったら、それは不幸な社会です。

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