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2016年11月 2日 (水)

憲法と国民が矛盾するとき

憲法と国民が矛盾するとき

朝日新聞 社説:あす憲法公布70年 未完の目標に歩み続ける(2016年11月2日(水)付)
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1

広島市長だった秋葉忠利さんは、かつて「原爆の日」の平和宣言で憲法の条文をまるごと引用したことがある。

9条ではない。

盛り込んだのは99条である。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」

そこに「国民」の文字はない。憲法は、国家権力が勝手な行いをするのを国民が縛り、個人の自由や権利を守るためにあるという近代立憲主義の精神が、条文には込められている。



中学で憲法を学んだ。留学先の米国では、大統領が就任式で「憲法を維持し、擁護し、防衛する」と誓うと知った。市長3年目に米同時多発テロが起きた。99条の引用はその翌年だ。

世界が憎しみと報復の連鎖に満ちていても、為政者は平和憲法に従う義務がある。この国を戦争ができる国にしてはならない――。安保法制が具体的に動き出そうとしているいま、当時の訴えはいっそう重く響く。

「世界が憎しみと報復の連鎖に満ちていても」、これは望ましい状態ではありませんけれど、国民世論・国民の意志は戦争を望んでいるということです。そして、「為政者は平和憲法に従う義務がある」のであれば、為政者は国民の意志に従うことが出来ません。

国民の意志と憲法、どちらが重いのでしょうか。

いえ、戦争と平和のどちらかと言う問題ではなく、為政者は憲法に従う義務があり、国民にはないのであれば、憲法と国民の意志が矛盾する可能性がある。その場合、民主国家の為政者は、どちらに従うべきなのでしょうか。

国民の意志を無視して(それは民主的ではありません)憲法に従うのか。それとも、憲法に違反してでも国民の意志に従うべきなのでしょうか。

  *        *      *

ところで、

70年前、天皇に主権があった明治憲法を改正する形式をとって、日本国憲法は生まれた。

だが46年6月に政府が当時の帝国議会に提出した案に、「国民主権」の言葉はなかった。天皇を中心とする国であることは変わらないとの立場から、「ここに国民の総意が至高なものであることを宣言し」と、あいまいな表現がとられていた。



それが今の姿になったのは、連合国軍総司令部(GHQ)が国民主権の明記を指示したからだった。「国民主権という言葉をはっきり出さぬと具合悪いのだ」。議事録に残る議員の発言に、本音がかいまみえる。

朝日新聞は、現在の憲法は、GHQにおしつけられたという立場なのでしょうか。

  *        *      *

私は、おしつけられたから憲法改正をするべきだとは思いませんが、現在の憲法が戦後の混乱期、異常な状況下で、日本国民の意志よりも外国の意志(GHQの意識)が優先される状況下で、決められたものであることを忘れてはならないと思います。

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