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2016年11月26日 (土)

モノしか見えていない

モノしか見えていない

ハフィントンポスト:長谷川豊アナ「殺せ」ブログと相模原事件、社会は暴論にどう対処すべきか?【インタビュー】
http://www.huffingtonpost.jp/2016/11/22/hasegawa-yutaka_n_13162488.html?utm_hp_ref=japan

――「医療費が増えると皆が共倒れになる。皆で考えねばならない」というのが長谷川氏の主張の論拠でした。

倫理学には「救命ボート問題」というものがあります。船が転覆して、救命ボートがあるが全員は乗れない、さらにどういう順番で救うか?という思考実験です。例えば、もう長く生きた人には遠慮してもらう、子供から救うべきだという考え方があります。より「自業自得度」が高い人から除外するというのもあり得るかもしれません。

しかしどのような基準、理由を採用するにせよ、それは誰かを助けると共倒れになる、それを避けたいのであれは誰かを外すしかないという極限状態の場合です。

実際にはそうではない。全員に対して医療サービスを提供して、その皆が生きられる時まで生きても、社会は困りません。

いやいや、無理でしょう。無限の介護、無限の医療を提供なんてできませんよ。

「全員に対して医療サービスを提供して、その皆が生きられる時まで生きても」っていったいどれくらいの「生きられる時まで」なんでしょうか。どんな高度医療でも、どんな終末医療でも、一日でも長生きしたい人には徹底的な延命治療を提供するなんて出来ませんよ。

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いまいま我慢している人間がいる。その人々の全てのニーズを満たすことが出来るのだろうか。そして、そのニーズを満たしたら次のニーズが出てくる。

どこかで限界にたっする、どこかで線引きしなくちゃならない。

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安定した社会と言うか、軋轢のない社会とは、この線引きが全員に共有されていて対立が生じない社会だ。全員が同じ価値感、同じ線引きなら問題は生じない。

「救命ボート問題」で言えば、全員の答えが(捨てられる人間も含めて)一致している状態。

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自分の線引きが正しいと信じきっている人間は、線引きを意識できない。

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――医療を全員に提供しても実際には社会は困らない。

医療にお金がかかっているのは事実ですが、何を買っているか、何を使っているかを考えてみればよい。使うものは人と人以外のものの2種類で、これで全てです。

ものは、例えば人工透析の機械です。鉄やアルミニウムでできています。それで長生きできるのだから、すくなくとも電子レンジなんかよりは優先されてよいでしょう。そして少なくとも電子レンジに使っている分も含めてもの・材料は今のところ足りなくはない。

そして人は余っています。日本の失業率は1桁ということになっていますが、それはハローワークに行って仕事を探しているが仕事がない人の割合にすぎません。定年で退職になった人、働ける環境があれば働いてもよいと思っている主婦、などなどの人たちを含めれば何割という割合になります。

人は足りている。むしろ足りて余っている状態をうまく制御できないでこの社会は困っていると考えます。どのように困っているのか、余っているのに足りないように見えてしまうのはなぜか、これ以上の説明は略しますが、足りないという事実認識は間違っている。このことは動かない。

正直、ばかじゃないか?と思った。

「材料は今のところ足りなくはない」

材料だけで役に立つものではない。それを加工し組み合わせて始めて役立つ物になる。簡単に加工できるなんて思ってもらっちゃ困る。

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ある小話を思い出した。

有名な画家のところに金持ちが絵の注文に来た。

画家が値段を告げる、「100万ドルです」。

金持ちが答える、「100万ドル!、私には、キャンバスの上に数ドルの絵の具がのたくっているようにしか見えませんが」。

画家は「いいでしょう、10ドルでお渡ししますよ」

数日後、金持ちの家に、真っ白なキャンバスと、数本の絵の具が届いた。

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資源があるから大丈夫、なんて思ってもらっちゃ困る。それを使用できるようにするまでに、どれだけ大変か判っているのだろうか「モノ」しか見えていない人間が指導者になったら、エンジニアの技量(の種類やレベルの差があること)を理解できない人間が経営者になったら、どうなるだろうか。

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本当の話かは知らないが、社会主義国では医者より農夫の方が価値があるとされていたそうだ。農夫は生産するが、医師は何も生産しない(少なくとも物質的なものは)からだそうだ。

農夫の価値を低く見てはならないが、医師が生産するものを理解できない(評価できない)社会は、どうなるだろうか。

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「人は足りている。むしろ足りて余っている状態をうまく制御できないでこの社会は困っていると考えます」

人数で考えたら、そらそうでしょうよ。受けた教育、本人の資質や性向を考えないで数だけ考えたら、そうでしょよ。

人間を何だと思っているのかしらね。

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社会の資源は有限で、全ての人の全てのニーズを満足させることは出来ていないし、近い将来に出来るようになる見込みもない。そこに気がつかない議論は無駄だし有害だ。

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