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2016年12月15日 (木)

大量殺人と思想信条の自由

大量殺人と思想信条の自由

新潟日報 社説:相模原殺傷報告 実効性ある再発防止策を
http://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20161214296718.html

警察は事件前の3月、施設に対し、植松容疑者が「障害者大量殺人の思想を持っている」と説明していた経緯がある。

警察と病院、県、施設の連携について検証が必要だったのではないか。関係機関には引き続き、議論してもらいたい。

植松容疑者は、障害者施設に勤務していたにもかかわらず、障害者に偏見や差別意識を持ち、凶行に及んだとされる。

そのような考えを決して認めない社会をどうやってつくっていくのか。私たち一人一人の姿勢も問われている。

大量殺人を認める人間はいないだろう。しかし、そのような考えを禁止することについてはどうだろうか。思想信条の自由とぶつからないか。

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考えること、表現すること、実行することの間には、それぞれ大きな溝がある。引用した社説は表現や実行どころか考えることすら認めない社会を求めている。

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日本国憲法では思想信条や表現の自由を保障している。これに対して自民党の改憲案では「公益及び公の秩序を害すること」を目的とした表現を禁止することを認めている。

どちらが良いのだろうか。

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私としては、無制限の自由はありえないので(無制限な自由があると思う人は、自分自身の無意識のタブーに気が付いていないだけ)、制限すると憲法に書くべきだと思う。

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差別思想や大量殺人を考えること(実行ではない)も禁止したいのであれば、憲法にはっきりと書くべきだし、思想信条や表現の自由を最大限に認めるなら、そのように書くべきだ。

憲法九条と自衛隊の関係の解釈のようなアクロバティックな解釈が必要な憲法は国民から遊離してしまうのだから。

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コメント

障碍者のための仕事をしたくて、施設の職員になり障碍者の事を知れば知るほど、その存在を否定したくなったという現実を、我々のように外野にいるものはどう考えたら良いのかな。 もしかして、この世に価値の無い命があったことの証明なのか、、、? 

投稿: 流氷 | 2016年12月15日 (木) 13時36分

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