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2017年1月31日 (火)

人間の限界を知るべき

人間の限界を知るべき

中日新聞 社説:仏大統領選 EUの命運握る選択だ
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2017013102000102.html

もう一つはフランス特有の移民問題である。国民の十人に一人がムスリム(イスラム教徒)という移民大国。だが、フランスの文化や伝統、国是を強いる「同化政策」はうまくいっていない。

それゆえに凄惨(せいさん)なテロは誘発された面がある。現時点で選挙戦をリードするルペン氏とフィヨン氏は移民問題に強硬だ。だが力ずくで解決できるような単純な問題ではないはずである。寛容さや多様性を重んじつつ、いかに共存を図るのか理性が問われる。

「寛容さや多様性を重んじつつ、いかに共存を図るのか理性が問われる」

政治の世界、現実世界では具体的な政策が必要なのです。「理性が問われる」などと言っていてもどうにもなりません。

  *        *        *

人間には本能や限界があります。多くの人間にとって多様性はテレビの向こう側にあるかぎりにおいて歓迎するものであって、居住空間の多様性は歓迎できないものです。隣人が異民族や異教徒、つまり自分の常識が通用しない人間であることを歓迎できる人間なんて極少数派です。

そういった人間の本能や限界を無視した議論は、それがどんなに「理性的」であっても不幸をもたらします。

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2017年1月29日 (日)

見直すべきは

見直すべきは

日本経済新聞:鹿児島知事、原発の避難計画「見直す」 川内の訓練終え
http://www.nikkei.com/article/DGXLASJC28H20_Y7A120C1ACW000/

鹿児島県などは28日、九州電力川内原子力発電所(同県薩摩川内市)の重大事故を想定した原子力防災訓練を実施した。三反園訓知事は県庁での災害対策本部会議に参加し、訓練も視察。「様々な反省点、改善点を踏まえて避難計画の見直しなどを行う。違う内容を含む大規模な訓練をし、県民の安心安全のために今後も万全を期したい」と報道陣に語った。

避難訓練をするなとは言いませんが、努力の方向が(優先度が)間違っているのではないでしょうか。

  *        *        *

福島原発事故の教訓によると漏洩した放射能(放射性物質)での健康被害は大きくはありません。福島原発では事前に避難訓練などはなく混乱があり漏洩した放射性物質が濃い方向へ逃げた方もあったようですが、それでも健康被害は出ていません。

対して、ストレスによる自殺や放射能に対する無理解からのイジメは起きています。

  *        *        *

被害の出ている方の対策をおざなりにして、被害の出ていない方への対策をするのは間違っています。放射能を「正しく怖がる」こと、正確な知識の普及、被害の程度への知識こそが求められているのではないでしょうか。

  *        *        *

被害はたいしたことない、って言うと様々方向から感情的な反発があるのは判るし、政府が広報や啓蒙に消極的なのもそのせいだろうけれど、国民の被害を小さくすることが政府の役割ならば、やるべきことはやってもらいたい。

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よろこんでいるのは自民党

よろこんでいるのは自民党

産経新聞:プラカード問題 民進党はいつまで「吉本新喜劇」を続ける気なのか
http://www.sankei.com/politics/news/170127/plt1701270002-n1.html
プラカード問題 民進党はいつまで「吉本新喜劇」を続ける気なのか

首相が20日の施政方針演説で、対決法案の採決でプラカードを掲げる民進党の手法を念頭に「国会の中でプラカードを掲げても何も生まれない」と指摘したことへの意趣返しである。民進党の蓮舫代表も24日の参院本会議で「自民党もプラカードを掲げ反対行動をとった」と得意げに首相に迫ってみせた。

いったい、いつまで「プラカード」が国会論争の争点となるのか。

安倍首相が「云々」を「でんでん」と誤読したようで、これについても騒いでいるようだ。こういった事が話題になる度に暗い気分になる。政治の劣化を嘆いて暗くなるわけではない(いや、問題だが)。暗い気分になるのは、子供時代にこういうことをやられたときの気分、つまり自分の間違い(漢字の読み間違いとか、記憶違いとか)を囃し立てられた気分を思い出して暗い気分になってしまう。

こういういじめっ子的な人間には偉くなって欲しくない。

  *      *     *

「プラカード」も「云々/でんでん」も受けるだろう。特に「でんでん」は面白い響きだし。しかし、それで民進党の票が増えるだろうか。私には増えるようには思えない。

こういう事をすることで自民党の票が減るから民進党はやるのだ、とするなら、他人の足を引っ張る人々に投票することはできない。

  *      *     *

第一位が何故第一位であるかと言えば、第二位よりも優れているから第一位なのだ。逆に言うなら第二位がグズなら第一位はのんびりできる。第二位が優秀なら第一はサボれない。

自民党をサボらせる民進党は嫌いだ。

  *      *     *

「プラカード」や「云々/でんでん」を喜んでいるのは、実は自民党かもしれない。

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2017年1月28日 (土)

旧宮家復帰に賛成ですが

旧宮家復帰に賛成ですが

毎日新聞 社説:旧宮家復帰論 国民の理解得られまい
http://mainichi.jp/articles/20170128/ddm/005/070/046000c

連合国軍総司令部(GHQ)による皇室財産の国庫帰属の指令もあって1947年、11宮家(51人)が皇室典範に基づき皇籍を離脱した。

旧宮家は天皇陛下と親戚関係にある。ただし、血筋をたどると共通の祖先は約600年前の室町時代にさかのぼるとされる遠い関係だ。

旧宮家の子孫には男系男子が多くいるという。しかし、離脱から70年、一般の家族のもとで育ち、皇族としての教育を受けず、皇室の生活も知らない。そうした人たちが皇位継承権を持つ地位になることが国民に受け入れられるとは思えない。

国民のひとりとして、旧宮家の皇籍復帰に賛成します。もちろん、復帰された旧宮家の方が皇族の仕事をされるまでには時間や教育などが必要でしょうが、私は復帰されるなら、その方を皇族のひとりとして認めます。

  *        *       *

だいたい他国に占領された時期に、他国の指示(行為)によって地位を奪われたのだから、もどすのが筋じゃないか、とも思えるし。

  *        *       *

「国民に受け入れられるとは思えない」

受け入れる国民もいますので、多少はご考慮いただきたく。

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2017年1月27日 (金)

教育に政府の介入を

教育に政府の介入を

東洋経済:教育困難校では「風呂の入り方」も教えている 学力以前に生活スキルがない生徒も存在
http://toyokeizai.net/articles/-/155208

しかし、「教育困難校」には、現在の日本において大きな存在意義がいくつもある。最大の意義は、社会の常識や生活のマナーを教える場ということだ。「教育困難校」の生徒の家庭は、経済的に厳しかったり、家族関係が複雑だったり、非常に不安定な状況にある場合が多い。そのため、普通の家庭環境に育った高校生であれば、幼い頃から家庭生活の中で身に付けている生活のスキルが身に付いていないことがある。

スキルといっても、それはまったく難しいことではない。食べたり、寝たり、体を清潔にするといった、人間として生きるごく基本的なスキルが、彼らには身に付いていないのだ。たとえば、修学旅行前に必ず行わなければならないのが入浴方法の指導である。

食べる・寝る・清潔にするといったレベルの生活スキルは高校の時期ではなく、幼稚園や小学校の時期に身につけるべきことだ。本来なら小学校で発見し対応すべきではないか。

  *       *      *

しかし、「食べる」といっても学校で教えるとなると礼儀や作法を統一しなければならない。教師個人の常識に任せるのは無理だ。教師の負担が重すぎる。

そして、もうひとつの問題がある。学校で「これが正しいお作法です」と教えるとクレームをつける親がでてくることだ。食事の前に「いただきます」と言わせただけで、給食費を払っているのにとクレームをつける人間もいるのだ。

人間には自由がある。食事の前に「いただきます」と言う自由、言わない自由もあるのだろう。しかし、それに配慮し学校でお作法を教えないとなると、親から教えてもらえない子供は学ぶべきお作法を学べない。

学校が庶民のもの、貧困層を救うべきものであるならば、学校は多少の軋轢があったとしても、お作法を教育すべきだ。

  *       *      *

お作法は文化であり価値観の表れだ。それを学校で教えるとなると、思想信条の自由とぶつかるだろう。しかし、それを恐れていては、教えてもらえない子供を救うことは出来ない。

極端に言えば、富裕層の自由と貧困層の未来が天秤に乗っているのだ。

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2017年1月26日 (木)

真実の誇張

真実の誇張

毎日新聞 社説:視点・トランプ時代/2 「ポスト真実」 虚が実を動かす怖さ=論説委員・及川正也
http://mainichi.jp/articles/20170126/ddm/005/070/087000c

時の権力者が不都合な事実から目を背け、虚偽を正当化すればどうなるか。見えてくるのは「虚構の世界」だ。トランプ米政権からはその怖さを感じる。



トランプ氏は自伝で「真実の誇張」の効用を語っている。一連の発言は「罪のないはったり」のつもりかもしれない。



トランプ氏は環太平洋パートナーシップ協定(TPP)離脱を決定した際に日本が米国車の輸入を阻害していると言った。無関税の米国車が日本で売れない大きな要因は燃費性能やサイズなどが消費者のニーズに合わないことだ。国益を左右する重大政策の決定が偽りの理由で正当化されていいわけはない。

トランプ流の虚構と、事実のどちらが力を持つのか。メディアの役割は大きい。

トランプはもちろん、与党も野党もメディアでさえ「真実の誇張」をしていないだろうか。対象や手法は違うだろうけれど。

  *        *      *

当然、虚構と真実、真実の方が強い。しかし、トランプの「真実の誇張」とメディアの「真実の誇張」と、どちらが力を持つのかは判らない。

  *        *      *

最初は真実であっても、どんなものでも、人から人へ伝わってゆくにつれて「真実の誇張」がされてゆく。例えば、「トランプ流の虚構と、事実のどちらが力を持つのか。メディアの役割は大きい」という言葉は、メディアの側に真実があるという「誇張」がされていないだろうか。

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2017年1月25日 (水)

再交渉の代価

再交渉の代価

ハンギョレ:[コラム]外交合意はいくらでも再交渉できる
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/26316.html

このように「外交合意」は国家利益や国内の政治状況の変化によりいくらでも破棄したり再交渉できるものだ。国内の政治地形が変わっている状況で「国家信用」を云々して「既存の外交合意を揺さぶるな」、「言及を自制せよ」というのは時代錯誤的行為だ。

韓国では一昨年の年末(2015年の年末)に合意した、「従軍慰安婦」についての「最終的」な合意について、破棄、あるいは再交渉を求める声がある。

  *        *        *

もちろん、再交渉を要求することは出来る。「最終的合意」だろうが「不可逆」だろうが、再交渉を要求することは出来る。しかし、もちろん、そこにはコストの支払いが伴う。

  *        *        *

再交渉を要求するコスト。それは信用の失墜だ。最終的なものとした合意について再交渉を要求することは、約束を破ることであり、約束を破れば信用を失うことになる。また、再度の合意に達するも難しくなる。だって、一度は合意したものをひっくり返されたのだから、次の合意もひっくり返される可能性がある。それを考慮に入れないで次の合意をすることはできない。

今回の合意は、日本が韓国の過去の行動を考慮して、アメリカを巻き込むこと、文言に「最終的」といれることで、合意が維持されるように担保したものだ。仮に次の合意があるとするなら、今回以上の担保が必要になる。

  *        *        *

日本側としては、合意が守られればそれはそれで良く、再交渉を要求してくるのであれば、韓国の行動を、非難しつつ拒否することも、非難しつつ受け入れることもできる。

この非難は国内的にも海外に対しても行えるし、強力な非難になる。

なにしろ「最終的」とした合意から1年程度しか経過していないのだ。その間に起きた変化は(国際的な事ではなくて)韓国の国内事情によるものだ。これは、つまり韓国との約束は韓国の事情でいつでも反故にされるという宣伝になってしまうのだから。

そして「嘘つき」というイメージを韓国に持たせることが出来れば日本の利益だ。だって、「従軍慰安婦」そのものが嘘かもしれないと(海外、国内の)人々に思わせる事ができるかもしれないのだから。

  *        *        *

再交渉を要求するコスト、これは韓国にとって高いものになるだろう。

  *        *        *

国家と国家の約束は、守った方が得なら守り、破った方が得なら破るものだ。再交渉を要求した方が得なら再交渉を要求するだろう。問題は損得計算がきちんと出来ているかどうかだ。

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2017年1月24日 (火)

フィリピン人を笑えるか

フィリピン人を笑えるか

NHK:「フィリピン ドゥテルテ政権の内政と外交」(視点・論点)
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/261338.html#more

日本人の一般的な感覚からすると、半年で6千人もの麻薬犯罪容疑者を殺害しているドゥテルテ政権が圧倒的に支持されているのは、不思議なことかもしれません。しかしこのことは、フィリピン人の政治に対する態度の、本音レベルでの表れだと解釈できます。これまでの大統領は、結果を出すためなら法的手続を無視しても良いという立場を公にとることは、まずありませんでした。ですので、フィリピン人がこの点に関してどう考えているのかが見えてくることはなかったわけです。ここにきて、汚職退治や麻薬撲滅の実績の方が、手続が法的基準を満たしていることよりも重要であると公言する大統領が現れ、また同時に、大多数の国民がそのような大統領を支持していることが世論調査で明らかになりました。このことは、フィリピン人の多くが、政府に対し、法律的なプロセスは妥協しても実績が上がれば良いと本音の部分では思っていることを示しています。これはさらに、1986年の民主化から30年たった今でも、民主主義の構成要素の1つである「法の支配」を遵守する態度が多くのフィリピン人の間で根付いていないことを示唆しています。

「政府に対し、法律的なプロセスは妥協しても実績が上がれば良いと本音の部分では思っている」

「民主主義の構成要素の1つである「法の支配」を遵守する態度が多くのフィリピン人の間で根付いていない」

法の支配の目的は何だろうか、民主主義を実践する目的は何だろうか。人々の暮らしを幸せにすることだろう。人々の幸せをもたらす道具としてこそ意味がある。

  *         *        *

法の支配は安心をもたらす。権力者が恣意的に行動したりしない、とばっちりを受けたりしないという安心をもたらす。民主主義は、議論や選挙を通じて人々が幸せを感じるものが何かを権力者に教えることができる。

  *         *        *

法の支配も民主主義も人々に幸せをもたらす。しかし、あまりに社会が貧しかったり治安が悪いと法の内容を知らせることも実践することも出来なくなる。あまりの格差社会で法を作る人々の生活と知識や理念が一般民衆のものとかけ離れてしまうと、法律は絵に描いた餅になってしまう。

  *         *        *

法の支配も民主主義も人々に幸せをもたらすことの出来る道具だけれど、実践するには、それなりの社会の安定と豊かさが必要なのだ。

  *         *        *

「民主主義の構成要素の1つである『法の支配』を遵守する態度が多くのフィリピン人の間で根付いていない」

日本には法の支配も民主主義もある。でも、もし、日本の治安が極端に悪化したらどうなるだろうか。日本人もフィリピン人のように法律を無視してでも安全と安心をもたらす統治者を歓迎しないと言えるだろうか。

私達はフィリピン人を笑えない、と私は思う。

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2017年1月23日 (月)

日本の「メリル・ストリープ」は誰?(あるいは何か?)

日本の「メリル・ストリープ」は誰?(あるいは何か?)

中日新聞 社説:これからも声を上げて 週のはじめに考える
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2017012302000107.html

大統領就任式の少し前の今月上旬、カリフォルニア州ビバリーヒルズの映画賞授賞式で、女優のメリル・ストリープさんがトランプ次期大統領を批判しました。

「軽蔑は軽蔑を、暴力は暴力を招きます。権力者がその地位を使って人をいじめるなら、(それを許すなら)私たち全員の負けです」

差別的な発言を繰り返す権力者から人権や自由、民主主義を守ろうとする堂々とした批判です。拍手喝采したい…ところですが、今回は少し違いました。トランプ氏を批判してきた人から、こんな声が上がったのです。

「メリル・ストリープの演説こそトランプを勝たせた理由だ」

「ハリウッドの大女優」が象徴する富と名声…。米国社会で最も恵まれた場所にいるエリートたちは、建前を繰りかえすだけで、現実の矛盾、目の前の貧困、広がる一方の貧富の格差を放置してきた。口先の批判はポーズで、実は既得権を、居心地のいい現状を守ろうとしている。

「変えてくれるのはエリートたちの正論ではない。トランプだ」-格差に対する大衆の怒りとエリートへの不信感が生み出した米国の分断の姿です。

私たちの国は大丈夫でしょうか。

日本の場合、「メリル・ストリープ」に該当するのは誰でしょうか。日本では芸能人が政治的な発言をすることは少ないので、該当する芸能人はいないでしょう。

でも芸能人に限らなければ、キレイ事・正論を言っている個人や組織はあるのではないでしょうか。例えば、朝日新聞や中日新聞とか。

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2017年1月22日 (日)

尊敬を感じない

尊敬を感じない

中日新聞 社説:首相施政方針 同盟を不変とする誤り
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2017012102000117.html

首相が指摘したように、テロ、難民、貧困、感染症など深刻さを増す世界的な課題の解決こそが、日本が積極的にすべき非軍事分野の貢献である。

その貢献に力を与えるのが、戦後日本の平和国家としての歩みに対する国際社会の高い評価と尊敬だろう。平和主義こそ、ぶれてはならない日本の軸であり、不変の原則だ。日米「軍事同盟」への過度の傾斜が、日本の外交力をそぐことに留意すべきである。

「国際社会の高い評価と尊敬」

ごめん、尊敬されているって感じたことが無いのだけれど、特に中国や韓国からは、日本は戦争を好む国だという非難を浴びているような気がするのだけれど。

  *        *        *

「国際社会の高い評価と尊敬」って、もしかして、ただの思い込みじゃないでしょうか。

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シンボル化

シンボル化

ハフィントンポスト:少女像、その「不便さ」について
http://www.huffingtonpost.jp/myoungin-kim/girls-statue_b_14276834.html?utm_hp_ref=japan

ソウルの日本大使館前に続き、釜山の日本領事館前にも「少女像」が建てられた。その「少女像」が、日本の植民地時代末期のいわゆる「大東亜戦争」時代に、日本軍の性的奴隷として連れていかれた「従軍慰安婦」を象徴する造形物だということを知らない人はいないだろう。韓国だけでなくアメリカにも建てられており、日本政府はこの象徴的な造形物に神経質な反応を見せた。また、その反応が高まるほどに「保護」されるべき理由はさらに強くなり、結果的にこの造形物は従軍慰安婦に関する記憶闘争が繰り広げられる「ホットスポット」になってしまった。

シンボルと実体は、別なものだ。国旗や国歌は国家そのものではない。誰かに丁寧に挨拶したとしても(礼を失していないことにはなっても)、尊敬や親愛の情があることを保証しない。けれども、国旗や国歌を粗雑に扱われるとカチンとくる人たちがいる。あるいは、ある特定の国の国旗や国歌をバカにしないではいられない人がいる。挨拶しない(挨拶されない)と人間関係に支障をもたらす。

  *        *        *

シンボルは「判りやすさ」をもたらす。国旗国歌を丁寧にあつかうことで、その国と仲良くやってゆきたい気持ちを示すことができる。挨拶することで、その人間との関係を大切に思っていることを示すことが出来る。

  *        *        *

いわゆる「少女像」は、シンボル化している。設置すれば韓国の得点、撤去すれば韓国の負け(感情レベルでの話だけれど)。

  *        *        *

判りやすい問題が解決しやすいとは限らない。逆に、判りやすいが故に困ったことになる場合もある。

「少女像」を撤去して日本との関係を良くした方が(全体を考えると)良い場合でも、その「良い」の判りやすさと撤去しての負けの判りやすさが違い過ぎる場合(撤去することの利益が説明しづらい場合)、民衆を説得するのは大変だろう(韓国は、そうなってしまっているのでないか)。

  *        *        *

下手なシンボル化は、選択肢を狭めてしまう。

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2017年1月21日 (土)

主張がどうであれ

主張がどうであれ

NHK:新大統領就任に反対 デモ隊が暴徒化し混乱も
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170121/k10010847471000.html

首都ワシントンの中心部では、黒っぽい服を着て顔や頭を覆ったおよそ500人の集団がトランプ大統領の就任に抗議して「差別主義者を再びおそれさせる」などと書かれた旗などを掲げて行進し、一部が飲食店や銀行の窓ガラスを割ったり、車を破壊したりしました。これに対して、警戒にあたっていた警察が一部で催涙ガスを使って衝突が起き、警察によりますと、これまでにおよそ90人が拘束されたということです。また、警察官2人が軽いけがをしたということです。

トランプ大統領に反対してはならないなどとは言わないが、デモをしても良いけれど「飲食店や銀行の窓ガラスを割ったり、車を破壊したり」したらいかんでしょ。

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どんな思想の持ち主であっても「暴徒」になる、暴力行為することがあるってことだね。平和や反差別などと言う美しいお題目をかかげていたとしても同じこと。

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2017年1月20日 (金)

良くなっている

良くなっている

朝日新聞 社説:駅の転落事故 欄干を社会でつくろう (2017年1月20日(金)付)
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1

目の不自由な人たちが「欄干(らんかん)のない橋」と恐れる駅のホームで、また悲劇が起きた。埼玉県のJR蕨(わらび)駅で14日朝、盲導犬を連れた男性が転落し、電車にはねられて亡くなった。

社会に対して批判的な意見が多いけれど、と言うか批判的な意見の方がマスコミなどに取り上げられやすいからか目にする機会が多い。だから、ダメになっている、ダメになるという気分になってしまいがちだ。

だが、ちょっと待ってほしい。若い人には無理かもしれないが、中高年や年寄りは20年前、30年前を思い出して欲しい。

そのころにホームドアはあっただろうか。現在だって普及率は低いけれど、しかし、私が東京に出てきた当時には普及率ゼロ、存在すらしなかった。また、いまではよく見かける車椅子用のスロープを見ることもなかった。

そういった事を考えると、現在は私が東京に出てきた当時に比べると良くなっていると言える。

  *        *       *

批判は必要であるけれど、それだけが世界じゃない。

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2017年1月19日 (木)

職員を守る義務

職員を守る義務

J-CAST:使用禁止「保護なめんな」ジャンパー  ネットでは「何が悪いのか」激励相次ぐ
http://www.j-cast.com/2017/01/18288424.html?p=all

小田原市が行った2017年1月17日の緊急会見などによると、このジャンパーは、10年前に生活保護担当の職員3人が支給を打ち切られた男からカッターナイフなどで切られる事件をきっかけに作られた。それでも不正受給は許さないと士気を高め、連帯意識向上のために職員から発案があったそうだ。

雇用者(会社などの組織)には被雇用者を守る義務がある。「職員3人が支給を打ち切られた男からカッターナイフなどで切られる」などという事があってはならないのだ。私は、ジャンバーの着用問題よりも市がどのような安全対策をとったのかの方が気になる。

  *        *      *

職員が安全であるなら、安心しているのであれば、威圧するようなジャンバーを着るようなことはないだろう。

  *        *      *

小田原市に労働組合があるかどうかは知らないが、労働組合は職員の安全問題にどのように取り組んでいるのだろうか。

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2017年1月18日 (水)

討論の形骸化と脱民主主義と漢字クイズ

討論の形骸化と脱民主主義と漢字クイズ

西日本新聞:【ポピュリズムのうねり】 姜 尚中さん
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/teiron/article/301621

このような現代のポピュリズムが、様々(さまざま)なグラデーションを描きながら、米国のみならず、欧州にも拡散しつつあるのだ。由々しいのは、「脱真実」は同時に「ポスト・デモクラシー(脱民主主義)」と平仄(ひょうそく)を合わせて進行しつつあることだ。民主主義がおざなりになり、選挙も見せ物的なゲームとなって、議会での討論も形骸化し、執行権力の専制的な支配が強化されていく事態。それが脱民主主義にほかならない。

「選挙も見せ物的なゲームとなって、議会での討論も形骸化」

選挙での連携が優先されて(誰と誰がくっつくとか喧嘩してるとかが報道されて)、政策についての議論がおざなりにされることですか?

それとも、国会で漢字クイズをするとかですか?

  *        *        *

野党は「みば」や「受け」を気にしすぎる。それを追求した結果が国会での漢字クイズやパネルの多用、あるいは蓮舫さんのような方を代表にすることだろう。

  *        *        *

野党は(政権与党と違い)目立たなきゃ報道してもらえない、報道してもらえなければ忘れられて選挙に負ける。それは判るけれど、結果として「騒ぐこと」「目立つこと」が目的になってしまったら、議論は出来なくなる。それこそ、議会の討論が形骸化し脱民主主義が起きるだろう。

  *        *        *

まともに議論できない政治家や政党を生き延びさせてしまった報道や国民の意識が最大の問題かもしれない。

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2017年1月17日 (火)

他の罪とどうちがうの?

他の罪とどうちがうの?

北海道新聞 社説:「共謀罪」提出へ 危険な本質は変わらぬ
http://dd.hokkaido-np.co.jp//news/opinion/editorial/2-0106039.html

しかし捜査機関の恣意(しい)的な解釈を許し、個人の内心や思想が処罰対象となりかねない危険性は変わらない。法案提出に反対する。

法案の危うさの1例として専門家は、銀行でお金を引き出しただけで逮捕される恐れを挙げる。

お金を引き出す目的」という内心を、捜査機関が「テロの資金調達のため」とみなせば、準備行為の容疑として成立してしまう可能性がある。本当の目的は生活費だったとしてもである。

事実ではない理由、無実の罪によって逮捕されたりする場合は、残念ながらある。捜査当局の故意か間違いかは判らないが。

  *        *        *

銀行口座から生活費をおろす行為が誤解されることを心配するのは理解できるけれど、同程度の誤解は他の罪でも起こり得ることだ。共謀罪が他の罪に比べて危険である理由にはならないと言うことだ。

  *        *        *

今度は「銀行からお金をおろしたら逮捕される」というデマが流行るのかな?

  *        *        *

共謀罪が危険であるとの言説は多いけれど、自分は説得されていない。引用した社説のような、どうも納得できないものばかりだ。本当に危険なら反対したいので、是非、説得してもらいたいものだと思っている。

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2017年1月16日 (月)

日本の野党と欧米のポピュリスト政党の共通点

日本の野党と欧米のポピュリスト政党の共通点

中日新聞 社説:反・既成政治の先は 欧州で問われる民意
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2017011602000103.html

しかし、英国はEU離脱決定半年以上たった今も、今後の具体的なシナリオを明らかにしていません。トランプ次期米大統領の政策も不透明で、国際社会を混乱させています。

既成政治打倒を目指すものの、展望を示せないことも、「共鳴仲間」に共通するようです。こんな世界はごめんです。

日本の野党の事を言っているのかのようです。彼らは、安倍自民党政権打倒を目指してはいるものの、その後の展望を示すことが出来ていません。

欧米の反・既存政治の政党との違いは、歴史の長さでしょうか。政権を獲得しそうな勢いがあるかどうかでしょうか。

でも、展望を示せないという点では共通しています。

  *        *      *

日本の野党に対しても中日新聞は、「こんな世界はごめんです」と言うのでしょうか。支持率をみると有権者は、「ごめんです」と言っているようですが。

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2017年1月15日 (日)

隣国とはぎくしゃくするもの

隣国とはぎくしゃくするもの

福井新聞 論説:日中韓関係 信頼の修復を大胆に図れ
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/editorial/113108.html

歴史的にも地理的にも最も近いはずの日中韓関係がぎくしゃくしたまま2017年を迎えた。とりわけ日韓関係は深刻だ。釜山の日本総領事館前に従軍慰安婦を象徴する少女像が設置されたことに対し、日本政府は駐韓日本大使らを一時帰国させ、経済分野の協議中断などの対抗措置を発表した。両国は2015年末に「最終的かつ不可逆的な解決」を確認した政府間合意の精神に立ち返り、再び「負の連鎖」を拡大させてはならない。

「歴史的にも地理的にも最も近いはずの日中韓関係がぎくしゃくしたまま2017年を迎えた」

いや隣人同士だからこそ喧嘩する、って言うのはあることなのですよ。例えば、小学校の時、同じくラスの机を並べている、隣の人とぎくしゃくすると言うか対立してしまうのはよくある事だけれど、別のクラスの、あるいは別の学年に同じような性格の人間がいても(接点がないから)気にならないし対立もしない、なんてことはよくあること。

国と国でも同じ、隣国だからこそ対立するってこともある。

  *        *        *

また、中国と韓国は明らかに隣国同士と言えるけれども、日本と中国、日本と韓国は隣国同士であるかは微妙だ。歴史的に交流があるのは事実だけれど、日本と両国の間には海があり、明治時代になるまで(産業革命が日本におよぶまで)、交流できるのは特殊な人間(遣唐使のようなエリートか海賊など)だけだった。

  *        *        *

日本と中国や韓国が友好的(戦争をあまりしていない)ように見えるのは、日本と中国や韓国が隣国同士と言うには遠かったことを示しているのではないか。

  *        *        *

明治以降、日本と中国や韓国の交流は(それ以前の時代に比べて)激増した。そして明治以降の日本と中国や韓国は、戦争と対立の歴史を歩んできた。

  *        *        *

「歴史的にも地理的にも最も近いはずの日中韓」などという言葉の裏には、友好的でなければという思い込みがある。隣人・隣国と仲が良いのは望ましいことではあるけれども、隣人・隣国であれば友好的というのは思い込みに過ぎない。

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2017年1月14日 (土)

共謀罪「話し合っただけで罰せられる」のは異常か

共謀罪「話し合っただけで罰せられる」のは異常か

しんぶん赤旗:きょうの潮流 2017年1月13日(金)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-01-13/2017011301_06_0.html

いままた安倍首相は治安維持法の現代版といわれる共謀罪を国会に出そうとたくらんでいます。姑息(こそく)にも名前を変え、成立なしに東京五輪は開けないと脅しながら。「犯行」を話し合っただけで罰せられる中身は変わらず、矛先は生活や平和を守る市民の運動まで

「小女子事件」をご存知だろうか。2ちゃんねるに殺害予告をしたたとして逮捕され有罪になったと記憶している。同じようにネットに「○○を殺す」などと書き込んだだけで逮捕され有罪になったケースはある。

犯罪の実行ではなくて、実行について話しただけで、場合によっては威力業務妨害や脅迫罪になる場合もあるのだ 。

  *        *      *

法律は人間の作るもので、人間を縛るものだ。だから、対象とされる人間の常識や感覚とずれていてはならない。いや、完全に一致することはないだろうけれど、ズレが大きなものであったら、法律は機能することが出来ない。

  *        *      *

では、この「『犯行』を話し合っただけで罰せられる」のが異常かどうか、私達の常識や感覚に比べてどうだろうか。「小女子事件」や同様の事件、ネットにふざけて書いただけで有罪なっている現実と「○○を殺そう」と相談することを犯罪と定義することの差はどれほどだろうか。

どちらも、当人にとっては、犯罪実行前であることでは同じだ。私にはさほどの違いがあるとは思えない。

  *        *      *

ネットにおかしな事を書き込んだら、それだけで逮捕される。その事を私達は常識としつつある。そう考えると、共謀罪、つまり「『犯行』を話し合っただけで罰せられる」ことが私達の常識的な感覚から大きくズレているとは思えないのだ。

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2017年1月13日 (金)

共謀罪と思想の自由

共謀罪と思想の自由

しんぶん赤旗:「共謀罪」法案の提出 許さないたたかいを 小池書記局長が会見
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-01-11/2017011102_01_1.html

日本共産党の小池晃書記局長は10日、国会内で記者会見し、政府が通常国会に提出を狙う「共謀罪」法案について問われ、「治安維持法の現代版とも言える大悪法だ。国会への提出を許さないたたかいを、他の野党や市民のみなさんと力をあわせて広げていきたい」と表明しました。

小池氏は、「(共謀罪は)犯罪の行為でなくて、意思そのものを処罰するわけで刑法の大原則に反している。日本国憲法が保障する思想、信条、表現の自由、基本的人権を侵害するものだ」と厳しく批判しました。

「犯罪の行為でなくて、意思そのものを処罰する」

いえ、共謀という行為、つまり犯罪実行について相談するという行為を処罰するものですから、「意思そのものを処罰する」というのは誤りです。

  *        *       *

「国会への提出を許さない」

国会へ提出すること、つまりこれは議論することや意志を示しています。国会への提出も許さないと言うのは、議論すら許さないということに繋がります。

こちらの方が思想の自由、意志の自由を制限しているのではないでしょうか。

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2017年1月12日 (木)

精神障害者の意志確認は、どのように?

精神障害者の意志確認は、どのように?

沖縄タイムス 社説:[精神科の退院促進]絵に描いた餅にするな
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/79291

障害者権利条約は、他の人との平等を基礎に「居住地の選択」や「特定の施設で生活する義務を負わない」ことをうたっている。

長期入院患者の退院を促す精神科医療の大転換には、財源の裏付けと人的手当てが欠かせない。それがなければ今度の対策も「絵に描いた餅」に終わる。

身体障害の場合は、極端に言えば、経済と(カネと)技術でなんとかなる。つまり、本人・周囲の人々や社会の豊かさが十分にあれば解決する。足の不自由な人には義足や車椅子、手であれば義手、感覚器官(目など)も代替出来るようになりつつある。近い将来は無理かもしれないが、身体障害については健常者と同じ生活(同じ行動)ができるようになるだろう。

しかし、精神障害や知的障害については、どうだろうか。

  *       *      *

精神障害者の言葉を、そのまま受け取っても大丈夫だろうか。知的障害者の判断をどこまで尊重すべきだろうか。

  *       *      *

単純に退院が進まないから、それは良くないことだと非難するのは双方にとって不幸な結果をもたらすのではないだろうか。

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2017年1月11日 (水)

「『違い』認め合う寛容さ」を求めることが与えるストレス

「『違い』認め合う寛容さ」を求めることが与えるストレス

北海道新聞:あすへの指針 「違い」認め合う寛容さを
http://dd.hokkaido-np.co.jp//news/opinion/editorial/2-0105541.html
あすへの指針 「違い」認め合う寛容さを

世界人権宣言が国連総会で採択されたのは、およそ70年前だ。



互いに「違い」を認め、多様性を包み込んで共に生きる。そのためにはどうすべきかを考えたい。



気がかりなのは、弱者への事件に潜む得体(えたい)の知れぬ、短絡的ないら立ちである。

川崎市の介護付き有料老人ホームで2014年、入所者3人が相次いで転落死した事件が1例だ。

殺人罪で起訴された元職員の男は、「仕事のストレスがあった」「イライラしていた」と供述したとされる。



転落死事件は、介護現場の過酷な労働が背景にあると指摘されるのも確かだ。だからと言って、高齢者をベランダから放り投げる犯罪が起こるのはなぜなのか。

事件は社会を映す鏡だ。福祉行政や制度の足りないところは改善すべきだが、イライラが暴発してしまうメカニズムを検証しなければ、再発防止はおぼつかない。



障害や性差、境遇の違いを包み込む社会とは、どういうものか。

ひとつの指針が、障害者権利条約の中にある。

障害者が暮らしにくく、不利益を受けているのは、障害者のニーズに応えていない社会の未成熟に原因があるとの考えだ。

たとえば、脚に障害のある人が建物を利用しにくい場合―。それは障害が原因ではなく、段差がある、エレベーターがないなどの建物の構造に問題(社会的障壁)があるという捉え方である。

視点を変えれば、社会のさまざまな欠陥が見えてくる。障害者にとどめず、あらゆる人々に広げて、障壁を取り払う具体的な取り組みを加速させたい。

それが、包摂社会への足がかりになろう。

バリアフリーの建物などモノを変更するのは良い、お金さえあれば実行可能だろうから。しかし、心の問題はどうか。それを変更することは容易ではない。どんな性格や思想が、事件や差別に繋がるのから判らないし、ある性格や思想が繋がると判ったとしても、その性格や思想の持ち主が「寛容さ」を求めたらどうするのだろうか。

  *        *       *

介護施設で犯罪を起こした人間が、「『違い』」認め合う寛容さ」を求めたら寛容であることを主張している人々は、どうするだろうか。

  *        *       *

寛容であることを要求する人々は、寛容であることが出来ない人々を理解していないように私には思える。タテマエ・正しいことを盾に悪い子をイジメている正義の味方、良い子ちゃんに見える。そして、正義の味方にイジメられた弱者が、さらに弱者を攻撃するように思える。

  *        *       *

人権や寛容さに反対するものではないが、それを主張する人々がストレスを発生させていることも事実であり、注意しなければならない。

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2017年1月10日 (火)

嘘、ではないが

嘘、ではないが

中日新聞 社説:脱炭素化紀元元年 週のはじめに考える
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2017011002000096.html

脱炭素化のエンジンは世界的には再生可能エネルギー、原発ではありません。原発は石炭火力以上に“燃費”が悪いと、多くの国が気付いたからなのです。

福島第一原発事故が、原子力の潜在リスクの膨大さ、平和利用の難しさ、ひいては投資リスクの大きさを世界に知らしめたからなのです。

ところが当の日本が、なぜか方向転換できません。旧態依然、痛みを分かち合えません。

新年。宇宙船「地球号」のカウントダウンが聞こえてきます。私たちを置き去りにしたままで。

日本の脱炭素が進んでいないことは認めますが、原発についてはどうでしょうか。

時事通信:世界の原発、新増設続く=450基、「脱」は少数派
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016122600519&g=eqa

東京電力福島第1原発事故や高速増殖原型炉もんじゅの廃炉で、強い逆風が吹く日本の原発。ただ世界では450基が運転可能で、エネルギー需要が急増する新興国では新増設が相次いでいる。安全面で反対の声はあるものの、ドイツなど「脱原発」は少数派だ。

中日新聞の社説を読むと世界中で脱原発が進んでいるようにも思えますが、実は違います。脱原発の国は少数派で多くの国で原発の増設が続いています。

  *        *        *

社説はニュースではないし、引用した社説も、厳密には嘘とは言えません。「多くの国が気付いた」とは書いてあるけど、脱原発を決めた国が多いとは書いてありませんから。

しかし、意見には事実での裏付けが必要です。事実を無視した意見は空理空論に過ぎません。誰も幸福にすることが出来ません。

  *        *        *

昨年は「嘘」が政治を動かしたと言われます。世界に大きな影響を与えた2つの出来事、英国のEU離脱とアメリカ大統領選挙でのトランプ氏の勝利、この2つにネットでの嘘が影響したという報道もあります。

その「嘘」と引用した社説の「嘘ではないけど...」は、どれほどの距離があるのでしょうか。

  *        *        *

世間に嘘や印象操作は、思想の種類によらず(右でも左でも嘘をつく)、人類の歴史が始まった瞬間からあることなのでしょうね。

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2017年1月 9日 (月)

努力しているフリだけでもしてくれないと

努力しているフリだけでもしてくれないと

朝日新聞:安倍首相「次は韓国が誠意を」 少女像撤去求める
http://www.asahi.com/articles/ASK18363KK18UTFK002.html

首相は、一昨年末の慰安婦問題をめぐる日韓合意に基づき、日本政府はすでに韓国側が設立した元慰安婦支援の財団に10億円を拠出したと強調。「日本は誠実に義務を実行していく。次は韓国にしっかり誠意を示していただかなければならない。たとえ政権が変わろうとも、それを実行するのが国の信用の問題だ」と述べ、少女像の設置は合意の精神に反するとして撤去を求めた。



首相は、韓国政府が合意で「適切に解決されるよう努力する」としたソウルの日本大使館(現在は移転)前の少女像の移転実現も迫った。

少女像は民間が設置したものだから、韓国政府としては撤去するとは言いづらいのだろうけれど、努力しているところを見せてくれないと、日本政府としては立場がなくなってしまう。

せめて、努力しているフリだけでしてくれないと。

  *        *        *

「努力しているフリ」は、少女像を設置している市民団体に同調していないことを示すことができる。「敵側じゃないよ」って言うことが出来る。

  *        *        *

韓国政府には(結果を約束したわけじゃなから)撤去を要求はしないが、その為の努力しているフリだけでもしてくれないと困る。でないと(約束した努力をしないので)敵側ってことになってしまう。

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2017年1月 8日 (日)

歴史に学ぶ

歴史に学ぶ

日刊ゲンダイ:安倍政権 「共謀罪」大義に東京五輪を“政治利用”の姑息
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/197066

共謀罪は、実際に犯罪を犯していなくても相談しただけで罰せられてしまう。極論すれば、サラリーマンが居酒屋談議で「うるさい上司を殺してやろう」と話しただけで、しょっぴかれる可能性がある。権力側が市民の監視や思想の取り締まりに都合よく運用する恐れもあり、03、04、05年に関連法案が国会に提出されたものの、3度とも廃案に追い込まれた。

特定秘密保護法が法案だったころ、様々なことが言われました。映画が撮れなくなる、オスプレイを写メしたら逮捕される、などなど。特定秘密保護法が成立してから数年たちましたが、そういう事は起こっていません。

共謀罪の法案が国会に提出されたら、様々な議論がされるでしょう。しかし、その中には、特定秘密保護法の時と同じようなデマが含まれているにちがいありません。

反対する方々は、狼少年になってしまっていないでしょうか。

  *        *        *

イソップの狼少年の場合、本当に狼がきたとき、狼に食べられたのは少年が面倒を見ていた羊の群れだけで、村人の生命や財産には悪影響はありませんでした。しかし、安倍さんに反対する方々が狼少年になってしまって信用を失い、その後、安倍さんが間違った場合に被害を受けるのは国民全体です。

狼少年は迷惑です。

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2017年1月 7日 (土)

釜山の少女像、雑感

釜山の少女像、雑感

毎日新聞:日本政府、増加懸念 駐韓大使の一時帰国指示
http://mainichi.jp/articles/20170107/k00/00m/010/111000c

政府は6日、韓国・釜山の日本総領事館前に慰安婦を象徴する少女像が設置されたことに対する対抗措置として、長嶺安政駐韓大使と森本康敬釜山総領事への一時帰国の指示など4項目の実施を打ち出した。少女像の早急な撤去を含め、一昨年12月の慰安婦問題に関する日韓合意の着実な履行を韓国側に要求していく方針だが、韓国世論が反発し、日韓関係をさらに悪化させる可能性もある。

釜山の少女像問題について野党は、特に民進党は何か言っているでしょうか。政権を担うなら隣国との問題について、どんな立場でどんな意見なのかを言わなければならないと思うのですが。

寡聞にして、私は、民進党の「党としての意見」を聞いていないのですが。

  *        *       *

民主国家同士の戦争は悲惨なものになる。争いはドロドロしたものになる。何故なら民主国家同士が戦うと言うことは、民衆同士が憎みあっているということだからだ。

韓国は、特に対日政策では、世論に引っ張られる国だ。民主的と言うことも出来るが、感情に振り回されると言うことでもある。

  *        *       *

韓国政府は、少女像問題・慰安婦問題について当事者能力を失っているのではないか。もし、そうなら日本政府には交渉相手がいないことになってしまう。民衆同士が(ネットなどで)直接交渉したら、その結果は目に見えている(悲惨なものになるだろう)。

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2017年1月 6日 (金)

無視するな

無視するな

中国新聞 社説:首相年頭会見 多様な声に耳を傾けよ
http://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=309251&comment_sub_id=0&category_id=142

「安倍1強」と呼ばれる中で国会で数の力で異論を封じる手法では世論との隔たりはますます深まる。国の財政悪化や少子高齢化、格差拡大など懸案は山積みである。拙速を廃した国民本位の国会審議があらゆるテーマで求められよう。政権としては多様な声に耳を傾ける姿勢を忘れてはならない。

「世論との隔たりはますます深まる」

安倍政権が世論と隔たっているなら、現在の高支持率をどう説明するのでしょうか。安倍政権のやることと世論が完全に一致しているとは言いませんが、さほどの隔たりがないからこその高支持率なのではないでしょうか。

  *        *        *

安倍政権に批判的な方々から「世論との隔たりはますます深まる」などという言葉を聞くことがあります。この言葉は、安倍さんを支持する方々の存在を無視というか、支持する方々に注意をは払っていない言葉です。

  *        *        *

しかし、それでは「何故、安倍政権は支持されているのか」と疑問を持ち、「支持する人々が支持する理由」を理解し、それ以上の理由を作ることが出来ません。つまり、現在の状況が続くということです。

これは困ったことです。

私は民進党を支持なんてしませんが、議論がないこと、野党が情けないことは良くないことだと思っていますから。無視している、気がついていないでいては議論も出来ませんから。

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2017年1月 5日 (木)

「自分の心の中にある壁」

「自分の心の中にある壁」

信濃毎日新聞 社説:壁の時代再び 共感する力を信じたい
http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170104/KT161230ETI090010000.php

英国のオックスフォード大出版局は昨年、「今年の言葉」に「ポスト真実(post―truth)」を選んだ。客観的な事実よりも感情への訴えかけの方が影響力を持つことを表現する単語だ。英国民投票や米大統領選の報道で盛んに使われた。

格差や分断が深刻化し、憎悪や不寛容がまん延しやすい社会にあって、誤った方向に進まないためにはどうすればいいか。

まず、自分の心の中にある壁、社会にある壁を冷静かつつぶさに観察しよう。そして、どうすれば取り払っていくことができるか、大いに議論しよう。他者に共感する力が私たちにはある。人間の力と知恵を信じたい。

私はイスラムを知らない、教義も生活もマスコミで流れる程度のものしか知らない。生の人間を知らないで、共存することを考えても空理空論にしかならない。その他の民族についても同じようなもの。

「どうすれば取り払っていくことができるか、大いに議論しよう」

議論するのに反対はしないが、多くの人間は空理空論しか出来ないだろう。

  *        *       *

「他者に共感する力が私たちにはある」

飢えている人間に共感して、食事を提供して、豚肉入りで、で、相手がイスラムだったらどうする?相手はどう思う?

知恵・知識・経験がなければ、共感しての行動が憎悪を招くことだってある。

  *        *       *

テレビの向こう側、ネットや新聞などを通じて知る他国・他民族へ共感するのは簡単だけれど、それと隣人としての他民族は全く違うものだ。

  *        *       *

「自分の心の中にある壁」

この言葉は、貴方の心の中に壁があると非難している。他人を支配するとき、非難することは一つの方法だから注意しないといけない。

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2017年1月 4日 (水)

国家の否定は強者の論理

国家の否定は強者の論理

信濃毎日新聞 社説:憲法の岐路 個人の尊厳 掘り崩しを許さない
http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170103/KT161230ETI090009000.php

「個人の自由を担保しているのは国家なのである」。首相の著著「新しい国へ」の一節だ。

文言の限りではその通りだ。国家は国民の暮らしを守り自由を保障する責任を負っている。そのための国家主権である。憲法学の教科書にも書いてある。

問題はその先にある。首相はかつて国会でこう述べた。

「その国家自体の危機が迫るときは、国民の皆さまにも協力をしていただかなければ」

首相の論理に従えば、「国民のための国家」は「国民は国家のため」に簡単に反転する。

詩人で思想家の故吉本隆明さんは書いている。日本では国家は国民の全てを足元まで包み込む袋みたいなものと考えられがちだけれど本当は違う。国家は国民とは別のもの。国民は国家から逃げ出したっていいんだ、と。

国家にからめ捕られずに、かけがえのない価値を持つ個人として国家に向き合い、政治を考えて、社会をよくしていく。憲法施行70年の今年をそんな年にしたい。

では、国家抜きに生活出来る人間は、どれほどいるだろうか。少なくとも私は出来ない。日々の生活、例えば買い物、商品は国家によって規制されているが(販売禁止されているものや安全基準)、この規制があるおかげで安全に(さほど)注意せずに買い物ができる。ビジネスだってそう。国家が行っている様々な規制や政策によってビジネス環境が維持されている。そして、さまざまな社会保障。義務教育にとどまらない教育への援助。

国家抜きに生活できる人間なんて、よっぽどの強者だけだ。

  *        *       *

「国民は国家から逃げ出したっていいんだ」

Aという国家からBという国家へ移籍することは出来るかもしれない。しかし、国家から逃げ出すことは、大部分の人間にとっては不可能なことだ。

  *        *       *

吉本隆明さんは、強者の論理を言っている。それを一般人である我々は、まともに受け取ってはならない。社長や校長先生のような偉いさんは、ときとして一般人には出来もしないことを要求することがある。例えば24時間仕事しろとか。それと同じようなものだ。

こういった言説をまともに受け取っていては、死んでしまう。いや、死なないまでも不幸になる。弱者である我々には出来ないことを言っているのだから。

  *        *       *

左翼?リベラル?な方々の言うことは、弱者にとっては無理なものが多い。

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2017年1月 2日 (月)

共通項を設定出来るか

共通項を設定出来るか

ハフポスト日本版:2017年、様々な立場の人がより自由で住みやすい社会になるために
http://www.huffingtonpost.jp/tomoko-nagano/2017-new-year-greetings_b_13913244.html?utm_hp_ref=japan

2017年、ハフポスト日本版は、「様々な立場の人がより自由で住みやすい社会になるために」をテーマにしました。

人間は群れを作って生活する動物だ。つまり、群れの仲間とそれ以外を厳しく峻別する本能を持っている。そして、一度仲間と認識したら少しぐらいそいつがおかしくなっても助けようとする。

  *        *       *

昔、エイズが流行りはじめたころ、あるエッセイで読んだ言葉を思い出す。「エイズの人と友達にはなれないが、友達がエイズになっても友達のままだろう」。

  *        *       *

人間が本能で(自然に)仲間と認識できるのは、数人、十数人がせいぜいだ。それ以上の人数になると、何かのシンボル・共通項を通じてでしか仲間になることが出来ない。

家名、学校、企業、地域、宗教、国家などのシンボルを通じてであれば、大勢の人間を「仲間」と認識できる。もちろん、その「仲間」は、そのシンボルを大事にする必要がある。そのシンボルは「仲間」にとって理屈抜きに大切なものだ。

  *        *       *

理屈じゃなく本能に訴えるシンボル、あるいは共通項を設定できるかどうかが、別れ目になる。理屈で「寛容であるべき」「人権を大切に」などと訴えても、民衆の心を動かす事は出来ないが、「同じ○○人じゃないか(○○教徒じゃないか)」という言葉は、心を動かすことが出来るだろう。

  *        *       *

国旗国歌は理解しやすいシンボルだ。つまり、国旗国歌の軽視は、国民の仲間意識を低下させ、ギスギスした社会をもたらすだろうと言うこと。

多様な価値観などと言って、大事なシンボルを傷つけていると、他人の違いに(自分とは異なる要求や必要に)無関心な人々が増えるだろうということだ。

  *        *       *

「様々な立場の人がより自由で住みやすい社会になるために」は、何か一つの縛り(シンボル・共通項)を設定することが必要なのだ。

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2017年1月 1日 (日)

弱者に寄り添わなかった人々

弱者に寄り添わなかった人々

朝日新聞 社説:憲法70年の年明けに 「立憲」の理念をより深く ( 2017年1月1日(日)付 )
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1

個人、とりわけ少数者の権利を守るために、立憲主義を使いこなす。それは今、主要国共通の課題といっていい。

環境は厳しい。反移民感情や排外主義が各地で吹き荒れ、本音むき出しの言説がまかり通る。建前が冷笑されがちな空気の中で、人権や自由といった普遍的な理念が揺らぐことはないか、懸念が募る。

弱者は本音と建前を実感する。何故なら、実質(つまり本音)の部分でミスやマイナスがあれば、直ちに生活(あるいは職・収入)に影響する。余裕がないのだから当然だ。また、建前にも敏感でなければならない、何故なら偉い人(強者)の建前に敏感でなければ、ご機嫌を害してしまうから。

強者は、鈍感でいられる。余裕があるし、自分の言葉に弱者は従ってくれる。建前だけの世界に住むことも出来なくはない。

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「本音むき出しの言説がまかり通る。建前が冷笑されがちな空気」

「本音むき出し」の言葉を発しているのは、強者だろうか弱者だろうか。私には弱者であるように思える。

いまの状況を作ったのは弱者の本音に鈍感だった強者ではないか。つまり「人権や自由といった普遍的な理念」を唱えつつも弱者の本音を理解しなかった、あるいは寄り添わず、追い詰めてしまった強者ではないか。

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リベラルな、自由と人権を唱える人々、寛容な人々は弱者に寄り添ってきたのだろうか。建前ではなく本音の部分で。

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最後になりましたが、明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願いします。

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