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2017年1月11日 (水)

「『違い』認め合う寛容さ」を求めることが与えるストレス

「『違い』認め合う寛容さ」を求めることが与えるストレス

北海道新聞:あすへの指針 「違い」認め合う寛容さを
http://dd.hokkaido-np.co.jp//news/opinion/editorial/2-0105541.html
あすへの指針 「違い」認め合う寛容さを

世界人権宣言が国連総会で採択されたのは、およそ70年前だ。



互いに「違い」を認め、多様性を包み込んで共に生きる。そのためにはどうすべきかを考えたい。



気がかりなのは、弱者への事件に潜む得体(えたい)の知れぬ、短絡的ないら立ちである。

川崎市の介護付き有料老人ホームで2014年、入所者3人が相次いで転落死した事件が1例だ。

殺人罪で起訴された元職員の男は、「仕事のストレスがあった」「イライラしていた」と供述したとされる。



転落死事件は、介護現場の過酷な労働が背景にあると指摘されるのも確かだ。だからと言って、高齢者をベランダから放り投げる犯罪が起こるのはなぜなのか。

事件は社会を映す鏡だ。福祉行政や制度の足りないところは改善すべきだが、イライラが暴発してしまうメカニズムを検証しなければ、再発防止はおぼつかない。



障害や性差、境遇の違いを包み込む社会とは、どういうものか。

ひとつの指針が、障害者権利条約の中にある。

障害者が暮らしにくく、不利益を受けているのは、障害者のニーズに応えていない社会の未成熟に原因があるとの考えだ。

たとえば、脚に障害のある人が建物を利用しにくい場合―。それは障害が原因ではなく、段差がある、エレベーターがないなどの建物の構造に問題(社会的障壁)があるという捉え方である。

視点を変えれば、社会のさまざまな欠陥が見えてくる。障害者にとどめず、あらゆる人々に広げて、障壁を取り払う具体的な取り組みを加速させたい。

それが、包摂社会への足がかりになろう。

バリアフリーの建物などモノを変更するのは良い、お金さえあれば実行可能だろうから。しかし、心の問題はどうか。それを変更することは容易ではない。どんな性格や思想が、事件や差別に繋がるのから判らないし、ある性格や思想が繋がると判ったとしても、その性格や思想の持ち主が「寛容さ」を求めたらどうするのだろうか。

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介護施設で犯罪を起こした人間が、「『違い』」認め合う寛容さ」を求めたら寛容であることを主張している人々は、どうするだろうか。

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寛容であることを要求する人々は、寛容であることが出来ない人々を理解していないように私には思える。タテマエ・正しいことを盾に悪い子をイジメている正義の味方、良い子ちゃんに見える。そして、正義の味方にイジメられた弱者が、さらに弱者を攻撃するように思える。

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人権や寛容さに反対するものではないが、それを主張する人々がストレスを発生させていることも事実であり、注意しなければならない。

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