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2017年1月22日 (日)

シンボル化

シンボル化

ハフィントンポスト:少女像、その「不便さ」について
http://www.huffingtonpost.jp/myoungin-kim/girls-statue_b_14276834.html?utm_hp_ref=japan

ソウルの日本大使館前に続き、釜山の日本領事館前にも「少女像」が建てられた。その「少女像」が、日本の植民地時代末期のいわゆる「大東亜戦争」時代に、日本軍の性的奴隷として連れていかれた「従軍慰安婦」を象徴する造形物だということを知らない人はいないだろう。韓国だけでなくアメリカにも建てられており、日本政府はこの象徴的な造形物に神経質な反応を見せた。また、その反応が高まるほどに「保護」されるべき理由はさらに強くなり、結果的にこの造形物は従軍慰安婦に関する記憶闘争が繰り広げられる「ホットスポット」になってしまった。

シンボルと実体は、別なものだ。国旗や国歌は国家そのものではない。誰かに丁寧に挨拶したとしても(礼を失していないことにはなっても)、尊敬や親愛の情があることを保証しない。けれども、国旗や国歌を粗雑に扱われるとカチンとくる人たちがいる。あるいは、ある特定の国の国旗や国歌をバカにしないではいられない人がいる。挨拶しない(挨拶されない)と人間関係に支障をもたらす。

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シンボルは「判りやすさ」をもたらす。国旗国歌を丁寧にあつかうことで、その国と仲良くやってゆきたい気持ちを示すことができる。挨拶することで、その人間との関係を大切に思っていることを示すことが出来る。

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いわゆる「少女像」は、シンボル化している。設置すれば韓国の得点、撤去すれば韓国の負け(感情レベルでの話だけれど)。

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判りやすい問題が解決しやすいとは限らない。逆に、判りやすいが故に困ったことになる場合もある。

「少女像」を撤去して日本との関係を良くした方が(全体を考えると)良い場合でも、その「良い」の判りやすさと撤去しての負けの判りやすさが違い過ぎる場合(撤去することの利益が説明しづらい場合)、民衆を説得するのは大変だろう(韓国は、そうなってしまっているのでないか)。

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下手なシンボル化は、選択肢を狭めてしまう。

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