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2017年1月 4日 (水)

国家の否定は強者の論理

国家の否定は強者の論理

信濃毎日新聞 社説:憲法の岐路 個人の尊厳 掘り崩しを許さない
http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170103/KT161230ETI090009000.php

「個人の自由を担保しているのは国家なのである」。首相の著著「新しい国へ」の一節だ。

文言の限りではその通りだ。国家は国民の暮らしを守り自由を保障する責任を負っている。そのための国家主権である。憲法学の教科書にも書いてある。

問題はその先にある。首相はかつて国会でこう述べた。

「その国家自体の危機が迫るときは、国民の皆さまにも協力をしていただかなければ」

首相の論理に従えば、「国民のための国家」は「国民は国家のため」に簡単に反転する。

詩人で思想家の故吉本隆明さんは書いている。日本では国家は国民の全てを足元まで包み込む袋みたいなものと考えられがちだけれど本当は違う。国家は国民とは別のもの。国民は国家から逃げ出したっていいんだ、と。

国家にからめ捕られずに、かけがえのない価値を持つ個人として国家に向き合い、政治を考えて、社会をよくしていく。憲法施行70年の今年をそんな年にしたい。

では、国家抜きに生活出来る人間は、どれほどいるだろうか。少なくとも私は出来ない。日々の生活、例えば買い物、商品は国家によって規制されているが(販売禁止されているものや安全基準)、この規制があるおかげで安全に(さほど)注意せずに買い物ができる。ビジネスだってそう。国家が行っている様々な規制や政策によってビジネス環境が維持されている。そして、さまざまな社会保障。義務教育にとどまらない教育への援助。

国家抜きに生活できる人間なんて、よっぽどの強者だけだ。

  *        *       *

「国民は国家から逃げ出したっていいんだ」

Aという国家からBという国家へ移籍することは出来るかもしれない。しかし、国家から逃げ出すことは、大部分の人間にとっては不可能なことだ。

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吉本隆明さんは、強者の論理を言っている。それを一般人である我々は、まともに受け取ってはならない。社長や校長先生のような偉いさんは、ときとして一般人には出来もしないことを要求することがある。例えば24時間仕事しろとか。それと同じようなものだ。

こういった言説をまともに受け取っていては、死んでしまう。いや、死なないまでも不幸になる。弱者である我々には出来ないことを言っているのだから。

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左翼?リベラル?な方々の言うことは、弱者にとっては無理なものが多い。

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コメント

思想家なんて、奇をてらった事言ったやつに後からそう呼んだだけでしょう。 
国民の集合=国家 → それらを象徴する天皇の存在 
なんだよなあ。 

シナの毎日新聞かあ、、、、。 

投稿: 北極熊  | 2017年1月 4日 (水) 18時11分

国家の否定とは、北斗の拳の世界が現実化する事だと。誰かしらの強者が、自分の思いのままに新たな国家のような物をでっち上げていく事ではないでしょうか。

投稿: DUCE | 2017年1月 4日 (水) 22時31分

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