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2017年1月27日 (金)

教育に政府の介入を

教育に政府の介入を

東洋経済:教育困難校では「風呂の入り方」も教えている 学力以前に生活スキルがない生徒も存在
http://toyokeizai.net/articles/-/155208

しかし、「教育困難校」には、現在の日本において大きな存在意義がいくつもある。最大の意義は、社会の常識や生活のマナーを教える場ということだ。「教育困難校」の生徒の家庭は、経済的に厳しかったり、家族関係が複雑だったり、非常に不安定な状況にある場合が多い。そのため、普通の家庭環境に育った高校生であれば、幼い頃から家庭生活の中で身に付けている生活のスキルが身に付いていないことがある。

スキルといっても、それはまったく難しいことではない。食べたり、寝たり、体を清潔にするといった、人間として生きるごく基本的なスキルが、彼らには身に付いていないのだ。たとえば、修学旅行前に必ず行わなければならないのが入浴方法の指導である。

食べる・寝る・清潔にするといったレベルの生活スキルは高校の時期ではなく、幼稚園や小学校の時期に身につけるべきことだ。本来なら小学校で発見し対応すべきではないか。

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しかし、「食べる」といっても学校で教えるとなると礼儀や作法を統一しなければならない。教師個人の常識に任せるのは無理だ。教師の負担が重すぎる。

そして、もうひとつの問題がある。学校で「これが正しいお作法です」と教えるとクレームをつける親がでてくることだ。食事の前に「いただきます」と言わせただけで、給食費を払っているのにとクレームをつける人間もいるのだ。

人間には自由がある。食事の前に「いただきます」と言う自由、言わない自由もあるのだろう。しかし、それに配慮し学校でお作法を教えないとなると、親から教えてもらえない子供は学ぶべきお作法を学べない。

学校が庶民のもの、貧困層を救うべきものであるならば、学校は多少の軋轢があったとしても、お作法を教育すべきだ。

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お作法は文化であり価値観の表れだ。それを学校で教えるとなると、思想信条の自由とぶつかるだろう。しかし、それを恐れていては、教えてもらえない子供を救うことは出来ない。

極端に言えば、富裕層の自由と貧困層の未来が天秤に乗っているのだ。

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コメント

いわゆる躾の範疇に入るものを、学校で教えなければならないという風潮にしてはいけない。 躾は家庭でするものである。 親は、子供に教育を受けさせる義務があるが、同様に親自身が子供に適切な躾をする事も義務である。 
困難な状況にある家庭であれば、それを支援する社会的な仕組みは必要かもしれないが、それは「教育」ではないのだから、学校の負担として増やすべきではない。 
全寮制の学校の学生寮のようなものを、社会保障の枠組みで利用できれば一番良いかもね。 

投稿: 北極熊 | 2017年1月27日 (金) 12時49分

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