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2017年3月22日 (水)

認知症と証人喚問

認知症と証人喚問

中日新聞:夕歩道( 2017年3月21日 )
http://www.chunichi.co.jp/article/column/yuhodo/CK2017032102000254.html

健忘症を「良心を欠く償いとして、神が債務者に授けてくださる天賦の才」とは、米作家、ビアスの『悪魔の辞典』。記憶障害は本来、深刻な話なのに、そんな言われ方をされるのは誰のせいか。

「記憶にございません」が流行語になったのは、かれこれ四十年前のロッキード事件。以来、証人喚問といえば、このせりふが重宝される。昨日は、記憶がなくなる理由の詳細な説明まであった。

「記憶を内蔵している海馬という部分がうまく開かず、ひらがなさえ忘れた」…。脳梗塞の後遺症を軽んじるつもりはないが、その前口上ばかりやたら明晰(めいせき)に聞こえたのは、どうしたことだろう。

東京都の百条委員会で石原さんが証言したのをTVで見た。感想は、まぁ...こんなもんか?だった。国会でも証人喚問などが行われることがあるが、多くの場合、新事実が出てくることはなく、政治家達による吊し上げ、あるいは政治家自身の広報活動になる。今回の百条委員会も同じような結果に終わった。

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与党や政府にとって怖いのは、石原さんのような政治家が喚問されることではなく、政治素人の民間人が、政治的配慮にかける発言をしてしまうことだ。法的には問題なくて事実であっても政治的には問題になるような言葉はあるものだ。

例えば、「原発事故で漏洩した放射能では死傷者は出ていない」ことは事実であるし、法律違反でもない。しかし、政治家がこんな発言をしたら大騒ぎになるだろう。

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「脳梗塞の後遺症を軽んじるつもりはないが、その前口上ばかりやたら明晰(めいせき)に聞こえたのは、どうしたことだろう」

石原さんの味方をするわけではないし、石原さんが認知症だと言うつもりもないが、認知症の方が明晰に聞こえる話をする場合があると言っておきたい。特に石原さんのようなインテリは、難しい言葉で答えることができる。認知症はまだら模様にすすむので、おかしなことをしている一方、難しい言葉を使う能力は残る場合もある。

認知症かも?と気がつくのは長い時間いっしょにいて行動に矛盾を感じるようになってから。

証人喚問・百条委員会の1時間程度の時間、質問は細切れで数分毎に質問者が代わり単発の質問に答えるだけ(あとは質問者が自分の政治的主張を述べているだけ)であれば、軽度の認知症であったとしても、多少の記憶障害があったとしても乗り切ることが出来るだろう。

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「明晰(めいせき)に聞こえたのは、どうしたことだろう」

この言葉に認知症に対する認識の甘さというか先入観を感じる。

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しかし、日本では人権が認められ、権力者が誰かに自白を強制することは出来ないことになっている。警察が威圧的だと非難されることがあるくらいだ。そういった事を考えると、国会や地方議会での吊し上げや質問者(政治家)が声を荒げることに、そしてそれが非難されないことに、なにかがおかしいを感じないではいられない。

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