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2017年3月26日 (日)

自由礼賛は結構ですが

自由礼賛は結構ですが

中日新聞 社説:道徳の教科書 心を型にはめぬよう
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2017032502000110.html

国語や社会、算数、理科などのふつうの教科は、人文科学や社会科学、自然科学という体系的な学問を基にしている。対して、道徳は、ものの考え方や感じ方、言動や態度、規範意識を一定の価値や理想へと導く営みといえる。

教科書検定では、国が学ぶべきものとして定めた学習指導要領に即しているかを主にチェックする。ふつうの教科では諸科学がものさしとなるが、道徳では国が指定した徳目がよりどころである。

戦前、皇国の臣民が守るべき徳目として、明治天皇の教育勅語をトップダウンで強いた構図をほうふつとさせる。

企業にとって都合が悪い人間が企業に採用されることはないだろう。国家や社会にとって都合の悪い人間が国家や社会から厚遇されることはないだろう。多様な考え、自由な考えと子供達を煽ってしまうと、社会や国家や企業にとって不都合な人間になってしまって、結果、不幸になってしまうことにならないか。

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国家や社会にとって都合の良い人間になれと言っている訳ではない。しかし、国家や社会にとって都合の悪い人間でありながら、幸福を掴むことの出来る強者(才能に恵まれた者)なんて少数派にすぎない。多くの凡庸な人間にとっては、国家や社会にとって都合の悪い人間でありながら、経済的に豊かな生活を送ることなんて出来はしない。

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いまの社会の問題は、国家や社会が価値観や心の型を提示できていないことにある。いや、提示はしているけれど、それに従えば(そこそこであっても)成功できるという価値観や心の型を提示できていないことだ。

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自由が大事であることに異論はないけれど、平凡な人々の幸福にとっては、安心して従える心の型を提示してもらえる方が大事なのではないだろうか。

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